社史『ばね物語』29 再興(2)新生「フセハツ工業」誕生
吉村 篤
ばね物語 フセハツ工業50年の歩み
フセハツ工業の社史『ばね物語』は、三代目社長吉村健一が社業50周年を記念して発刊しました。
社史『ばね物語』発刊にあたり、協賛いただいたフセハツ工業OB会の方々。
株式会社東洋発条製作所 代表取締役 浦野春夫
コシオカ産業株式会社 代表取締役 越岡元弘
コシオカ産業株式会社 取締役 越岡伸子
株式会社隆光スプリング製作所 代表取締役 永田隆光
株式会社永田発条 代表取締役 永田昭夫
永田スプリング製作所 社長 永田一義
株式会社タイガーバネ製作所 代表取締役 竹山保
タツマ工業株式会社 代表取締役 吉川晋吾
協和バネ製作所 社長 中田鉄弘
フセハツ工業株式会社 代表取締役 吉村健一
『フセハツ工業』の企業理念
弾む原理を進化させ、
小さくても大きな使命と責任感をもって
社会に貢献すべし
再興(2)ヤ新生「フセハツ工業」誕生
バブルは終わった、でも生き残るのだ
平成6年(1994)、新年の席で、吉村は全社員に「フセハツ工業が生き残れるか、残れないか勝負の年であり、『フセハツ工業』第二の創業を成功させるために、全社員の奮闘を期待します」と檄をとばした。
バブル景気はとっくに終わっていた。
不景気が日増しに強くなっていた。
経済情勢は円高による輸出不振、人件費の高騰が重なり、海外に生産拠点を移す企業が多くなり国内産業の空洞化が叫ばれていた。
派遣社員を解雇し、パート従業員の採用に踏み切った。
派遣会社との折衝や外国人労働者とのトラブルなどの細かい難問はあったが、人の入れ替えはスムーズにできていった。
工場部門の立て直しには、山本晶を工場長に指名、製造部を三部門に分割して第一製造部は名田浩一、第二製造部は横田敏昭、第三製造部は『ヤマト発条』の高橋信光を部長に任命してそれぞれの責任を明確にした。
一般バネの製造は外注に依存しており、社内では特定の商品しか製造していなかった。
そのために、技術力が落ちて価格競争で負けていた。
第三製造部の高橋は昭和55年(1980)から『ヤマト発条』で勤務し、バネ製造については熟知していたので、かれの下に新しく採用した人材を配置するとともに、外注に貸与した設備を本社工場に設置して稼働させた。
新しく採用したなかに粟倉孝平がいた。
彼は印刷機械関係の仕事をしていてバネとは無関係であったが、採用にあたって「当社は最新の機械を導入する計画であるが、君には自信があるか」と尋ねた。
粟倉は勉強家で器用だったので、機械メーカーが驚くほど技術力をつけていった。
桜本亨道は派遣社員として勤務していたが、吉村の要望で派遣社員をやめて当社の正社員になった。
20代で若く英知にあふれた好青年である。
彼にも最新の機械を任せたら、バネを巻くのは初めての経験であったのに、研修も受けず独学で使いこなした。
現在、桜本はもう一段上の技術取得にむけて励んでいる。
リーダー格の桜本の下で若い社員の新免史生、吉村猛、吉村啓司が今後、最新技術を身につけていくだろう。
営業部門の立て直しは、北野勇を営業部長に据え、新たな人材の採用を行った。
優秀で経験豊富な人材が続々と入社、辻井明、宮田孝良、榎本圭吾、森開三代治が入社した。
営業組織も営業一課と二課に分けて、営業一課は既存得意先の管理、営業二課は新規販路開拓を目的に編成し二本だてで活動を開始した。
現在では8名の営業部員に営業補助の女子社員2名と総勢10名で営業展開するまでになった。
経理部門は作田幸子を経理部長に据え、自社の経理部員の育成に力を注いでもらい、現在は、売掛、買掛、総務と3人体制で透明性のある経理を展開している。
フセハツグループの子会社『ツキセ工業』は、社員の高齢化、人件費の高騰、作業効率の悪さなどの問題で平成9年(1997)3月、すべての設備を本社に移転し閉鎖した。
また、『フセハツ商事』も女子社員1人になっていたので、平成9年(1997)9月に『フセハツ工業』に合併させた。
>社史『ばね物語』28 再興(1) ヤマト発条との合併
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監修者

フセハツ工業株式会社
代表取締役社長 吉村篤
2000年、ばねの総合メーカー「フセハツ工業株式会社」に入社。2013年、四代目代表取締役社長に就任。
- 一般社団法人 日本ばね工業会 会員
- 日本ばね学会 会員
- 公益社団法人 大阪府工業協会 評議員
- 東大阪市工業協会 理事
- 東大阪商工会議所 議員
- 特定非営利法人 新共創産業技術支援機構(ITAC)理事
- 一般社団法人 大阪溶接協会 会員
- 一般社団法人 布施交通安全自動車協会 理事
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