<![CDATA[ばねとくらす]]> https://www.fusehatsu.co.jp/blog/ Fri, 03 Jul 2026 11:40:00 +0900 Wed, 01 Jul 2026 10:19:08 +0900 CMS Blue Monkey http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss <![CDATA[社史『ばね物語』24 飛翔(6)フセハツ商事設立]]> https://www.fusehatsu.co.jp/blog/2026/07/01/193
目次


ばね物語 フセハツ工業50年の歩み

フセハツ工業の社史『ばね物語』は、三代目社長吉村健一が社業50周年を記念して発刊しました。


社史『ばね物語』発刊にあたり、協賛いただいたフセハツ工業OB会の方々。

株式会社東洋発条製作所     代表取締役 浦野春夫
コシオカ産業株式会社      代表取締役 越岡元弘
コシオカ産業株式会社        取締役 越岡伸子
株式会社隆光スプリング製作所  代表取締役 永田隆光
株式会社永田発条        代表取締役 永田昭夫
永田スプリング製作所         社長 永田一義
株式会社タイガーバネ製作所   代表取締役 竹山保
タツマ工業株式会社       代表取締役 吉川晋吾
協和バネ製作所            社長 中田鉄弘
フセハツ工業株式会社      代表取締役 吉村健一


『フセハツ工業』の企業理念
 弾む原理を進化させ、
 小さくても大きな使命と責任感をもって
 社会に貢献すべし


飛翔(6)その1 フセハツ商事設立

任せようとしていた吉村の退職

昭和52年(1977)、構造改善をするために本社と大阪・堺の両営業所を切り離して、営業・販売部門を別会社に独立させたいという話が作田社長から吉村にあった。

すでに10年間、独立採算の形態で営業しており、財務内容も抜群で無借金経営を続けており、別会社にして吉村にその会社を任せようとしていた。

『フセハツ工業』は息子の為宣に、『フセハツ商事』は娘婿の吉村に任せようとの思惑である。

しかし、吉村はこの時点ですでに独立する心積もりだったし、以前から独立したいと作田社長に直訴していたが、なかなか許してもらえなかった背景をもっていた。


吉村が退職してから大阪営業所の経営形態も様変わりしていった。

社長は当初の方針通り『フセハツ商事(株)』として独立させた。

社長が健在な時期までは順調な業績だったが、二代目社長の為宣が病気がちで目が行き届かなくなってからは、社員の造反、退職が続き内部から崩壊し始め、業績は落ち堺営業所も撤退した。

その後『フセハツ商事』は平成9年(1997)9月、三代目社長吉村のとき、『フセハツ工業』に吸収合併されている。




ばね物語24-1


飛翔(6)その2 吉村が独立、『ヤマト発条』を設立

膨大な不渡り手形をもらうはめに

昭和53年(1978)3月、吉村は29歳で独立して東大阪市御厨に『ヤマト発条製作所』を設立した。

設立にあたって母親のヨシ子が労働金庫から退職金を前借りして100万円を工面してくれた。

その資金で貸工場を借りて父親の藤市朗に手伝ってもらいながらのスタートであった。


ヤマト発条、最初の注文は『フセハツ工業』の堺営業所から受けたものだった。

納めた商品にクレームがついて『フセハツ工業』に迷惑をかけてしまった。

長年勤めた会社に迷惑をかけ後輩にも申し訳なく思い、その後の注文は遠慮した。


資金はなく、受注の見込みはなく、頼れるものはいままで吉村が蓄積した経験と人望だけだった。

独立して間もなく『奥田プラスチック』からの大量の受注があり、商売は軌道に乗るかと思われた。

『奥田プラスチック』は昼夜24時間操業で非常に忙しい会社だったが、薄利多売の商品を生産していたため、忙しくても利益が上がらず経費倒れの状態で、なんとか利益を上げようと設備投資もしたが、逆に金利負担の増加と仕入れ業者とのトラブルで倒産に至った。

吉村は膨大な不渡り手形をもらうはめになった。


取引額の大きな得意先がなくなり、『ヤマト発条製作所』の売上は減少し続けた。

工場の留守は父親にまかせて吉村は走り回った。

1日に名刺2ケース使う日もあって、印刷屋さんから「お宅は何屋さん」と言われて返答に困った思いがあるという。

ダイレクトメールの印刷を頼んで、初めて「バネ屋」と分かり、印刷屋さんは「鉄関係でこんなにたくさん名刺を刷ったのは初めてや」と驚いていた。

飛び込み営業とダイレクトメールの2本立ての活動が続いた。

毎日が苦境の連続であった。


数ヵ月が過ぎたある日、疲れて帰ってきたら、『宮本商事(株)』という会社から電話があり、一度来てほしいと言っているとのこと、メーカーではないので、たいしたことではないと思いながら行ってみると予想とは違い、『宮本商事』の社長は毎月10万個セット購入する予定だから、すぐにでも見積もってくれと命令口調で話された。

初対面なのに、何となく親しみがわく社長であった。

数日後に「ばね関係は全てお前のところから買う」といわれた。

取引条件も現金決済の好条件にめぐまれ、『ヤマト発条製作所』は宮本社長のお陰で軌道に乗ることができて感謝している。

その後、地道な営業努力で得意先も200社に増え、昭和62年(1987)12月8日に東大阪商工会議所から優良事業所の表彰を受ける栄誉に輝いた。


ばね物語24-2



>社史『ばね物語』23 飛翔(5) 輸出と海外視察

>お問い合わせはこちら 

監修者

吉村篤写真.jpg

フセハツ工業株式会社

代表取締役社長 吉村篤

2000年、ばねの総合メーカー「フセハツ工業株式会社」に入社。2013年、四代目代表取締役社長に就任。

  • 一般社団法人 日本ばね工業会 会員
  • 日本ばね学会 会員
  • 公益社団法人 大阪府工業協会 評議員
  • 東大阪市工業協会 理事
  • 東大阪商工会議所 議員
  • 特定非営利法人 新共創産業技術支援機構(ITAC)理事
  • 一般社団法人 大阪溶接協会 会員
  • 一般社団法人 布施交通安全自動車協会 理事

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Wed, 01 Jul 2026 10:19:08 +0900
<![CDATA[ばね屋のお便り2026年6月号]]> https://www.fusehatsu.co.jp/blog/2026/06/30/192
目次

ばね屋のお便り2026年6月号

梅雨に見頃を迎える花といえばアジサイですね。

花弁一つ一つは小さいですが、花束のようにまとまっていて迫力があります。

淡い色合いなのも見ていて癒されますね(^^ ♪

いつもフセハツ工業メールマガジン「ばね屋のお便り」をご覧いただきありがとうございます。

メルマガ担当の佐藤です。


去年おととしと比べると、最高気温が控えめで過ごしやすい6月だった印象です。

一般的にはエルニーニョ現象の影響で冷夏にないやすい傾向があるようですが、チベット高気圧・太平洋高気圧の影響で全国的に平年より高い気温になり、酷暑となる見通しだそうです。

本格的な夏がはじまりますので、水分補給だけでなく塩分補給も欠かさないよう、皆様もお体に気を付けてお過ごしください。


2026年の展示会・イベント日程を掲載いたしました。

すべて11月の予定となりますので、まだまだお日にちがありますので、直前に改めてご案内いたします!



ばね屋のお便り2026



2026年度 展示会・イベント情報公開!

▼第39回 東大阪産業展「テクノメッセ東大阪2026」

2Days 11/4(水)、11/5(木)

会場:マイドームおおさか 1階展示場

大阪府大阪市中央区本町2-5


▼オープンファクトリー「こーばへ行こう!2026」

1Day 11/6(金)

会場:フセハツ工業 株式会社


▼「ビジネスチャンス発掘フェア2026」

2Days 11/25(水)、11/26(木)

会場:マイドーム大阪 2階・3階展示場

大阪府大阪市中央区本町2-5

※「会社の環境整備」ブースでの共同出展となります。


詳細は下記からご確認ください。

それでは皆様、来月号でお会いしましょう!


~ばねの総合メーカー「フセハツ工業」展示会・イベント日程2026~

2026年度の展示会出展・イベント予定です。

みなさまのご来場、こころよりお待ちしております。


>フセハツ工業 展示会・イベント日程2026


ばねに関するお問い合わせは下記から!!↓

>お問い合わせはこちら

>ばね屋のお便り2026年5月号

>「ばね屋のお便り」アーカイブ

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Tue, 30 Jun 2026 14:55:59 +0900
<![CDATA[社史『ばね物語』23 飛翔(5)輸出と海外視察]]> https://www.fusehatsu.co.jp/blog/2026/06/29/191
目次


ばね物語 フセハツ工業50年の歩み

フセハツ工業の社史『ばね物語』は、三代目社長吉村健一が社業50周年を記念して発刊しました。


社史『ばね物語』発刊にあたり、協賛いただいたフセハツ工業OB会の方々。

株式会社東洋発条製作所     代表取締役 浦野春夫
コシオカ産業株式会社      代表取締役 越岡元弘
コシオカ産業株式会社        取締役 越岡伸子
株式会社隆光スプリング製作所  代表取締役 永田隆光
株式会社永田発条        代表取締役 永田昭夫
永田スプリング製作所         社長 永田一義
株式会社タイガーバネ製作所   代表取締役 竹山保
タツマ工業株式会社       代表取締役 吉川晋吾
協和バネ製作所            社長 中田鉄弘
フセハツ工業株式会社      代表取締役 吉村健一


『フセハツ工業』の企業理念
 弾む原理を進化させ、
 小さくても大きな使命と責任感をもって
 社会に貢献すべし


飛翔(5)輸出と海外視察

自社商品の開発にちからをそそぐ

英語に堪能な林源次郎がいたお陰で、輸出向けのバネを商社へ売り込みに回ることができた。

少しずつ輸出用のバネの注文が増えてきて、海外視察をする必要も出てきた。

昭和46年(1971)6月8日~19日に東南アジア、特に台湾の友力工業股份有限公司を視察出張した。

林が通訳になったので、添乗員の案内が必要なツアーではなく、個人的に自由な旅程を組めた。

同年に資本金を1250万円に増資している。

昭和47年(1972)6月に『月瀬金属(株)』を『ツキガセ工業(株)』に社名を変更した。

さらに昭和49年(1974)9月10日から21日には、作田社長はやはり林とともにカナダ・モントリオールのウエダー社を視察出張した。

輸出用の新しいバネの開発に力を注いだ作田社長は、持ち前のアイデアを駆使した。



ばね物語23




右肩あがりのこの時代に、部品メーカーでは企業の成長に限界があると考えた社長は、自社商品の開発に力を入れた。

中田鉄弘は試作を主に担当して、事務所の裏にある試作室で仕事に没頭、試作品はずらりと陳列してあった。

ただ、試作にあたっては作田社長自ら指揮をし、金型及び機械の改善に尽力した人には金一封を授与した。

現工場上の山本晶もそれを受けた一人である。



ばね物語23







ばね物語23








ばね物語23




>社史『ばね物語』22 飛翔(4) 堺営業所の開設

>社史『ばね物語』24 飛翔(6) フセハツ商事設立

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フセハツ工業株式会社

代表取締役社長 吉村篤

2000年、ばねの総合メーカー「フセハツ工業株式会社」に入社。2013年、四代目代表取締役社長に就任。

  • 一般社団法人 日本ばね工業会 会員
  • 日本ばね学会 会員
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Mon, 29 Jun 2026 15:25:40 +0900
<![CDATA[社史『ばね物語』22 飛翔(4)堺営業所の開設]]> https://www.fusehatsu.co.jp/blog/2026/06/26/190
目次


ばね物語 フセハツ工業50年の歩み

フセハツ工業の社史『ばね物語』は、三代目社長吉村健一が社業50周年を記念して発刊しました。


社史『ばね物語』発刊にあたり、協賛いただいたフセハツ工業OB会の方々。

株式会社東洋発条製作所     代表取締役 浦野春夫
コシオカ産業株式会社      代表取締役 越岡元弘
コシオカ産業株式会社        取締役 越岡伸子
株式会社隆光スプリング製作所  代表取締役 永田隆光
株式会社永田発条        代表取締役 永田昭夫
永田スプリング製作所         社長 永田一義
株式会社タイガーバネ製作所   代表取締役 竹山保
タツマ工業株式会社       代表取締役 吉川晋吾
協和バネ製作所            社長 中田鉄弘
フセハツ工業株式会社      代表取締役 吉村健一


『フセハツ工業』の企業理念
 弾む原理を進化させ、
 小さくても大きな使命と責任感をもって
 社会に貢献すべし


飛翔(4)その1 堺営業所の開設

大阪と同様の独立採算性で

松村和彦(現三基発条社長)から、堺の得意先が広範囲に広がったので管理できにくいという提言があって、大阪の南方面を管轄する目的で昭和45年(1970)12月、堺市四条通り7-24に堺営業所を開設した。

堺営業所も大阪営業所と同様に独立採算性をとった。

初期には松村、楠本憲一と経理の西浦さちの三人が常駐して切り回した。

松村が独立して楠本が亡くなったあとは、西田豊行(とよつら)が本社から堺営業所へ配置換えになった。

西田は作田社長の妹の子供で、為宣とは従兄弟の間柄である。



ばね物語22


飛翔(4)その2 クラッチ生産増大

ひた走った好況下の日本

昭和39年(1964)、東海道新幹線が開通し、東京オリンピックの開催にはじまり、昭和41年(1966)には日本の総人口が1億人を突破、昭和44(1969)東名高速道路が全線開通、日本のGNPが自由世界第2位、翌45年(1970)は大阪での日本万国博覧会が開催され、ひた走る日本の好況によって、自動車産業もフル操業の状態だった。

増産の波紋は当社にもおよび、クラッチ部品のリターンバネからワイヤーリングへと変わり、ワイヤーリングの受注量が急増した。

本社工場と『月瀬金属』でのフル操業はもちろん、外注にも頼らなければ納期に間に合わない状態だった。



ばね物語22


ばね物語22




>社史『ばね物語』21 飛翔(3) フセハツ卒業生

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フセハツ工業株式会社

代表取締役社長 吉村篤

2000年、ばねの総合メーカー「フセハツ工業株式会社」に入社。2013年、四代目代表取締役社長に就任。

  • 一般社団法人 日本ばね工業会 会員
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  • 東大阪商工会議所 議員
  • 特定非営利法人 新共創産業技術支援機構(ITAC)理事
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Fri, 26 Jun 2026 13:49:43 +0900
<![CDATA[社史『ばね物語』21 飛翔(3)フセハツ卒業生]]> https://www.fusehatsu.co.jp/blog/2026/06/22/189
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ばね物語 フセハツ工業50年の歩み

フセハツ工業の社史『ばね物語』は、三代目社長吉村健一が社業50周年を記念して発刊しました。


社史『ばね物語』発刊にあたり、協賛いただいたフセハツ工業OB会の方々。

株式会社東洋発条製作所     代表取締役 浦野春夫
コシオカ産業株式会社      代表取締役 越岡元弘
コシオカ産業株式会社        取締役 越岡伸子
株式会社隆光スプリング製作所  代表取締役 永田隆光
株式会社永田発条        代表取締役 永田昭夫
永田スプリング製作所         社長 永田一義
株式会社タイガーバネ製作所   代表取締役 竹山保
タツマ工業株式会社       代表取締役 吉川晋吾
協和バネ製作所            社長 中田鉄弘
フセハツ工業株式会社      代表取締役 吉村健一


『フセハツ工業』の企業理念
 弾む原理を進化させ、
 小さくても大きな使命と責任感をもって
 社会に貢献すべし


飛翔(3)フセハツ卒業生

独立をうながしバックアップ

当社の社員で早い時期に独立したのは裏野春夫だった。

昭和33年(1958)に作田社長から「独立してみてはどうか」と声をかけられた。

裏野の弟もバネ製造の経験があり、二人で力を合わせれば何とかなるだろう、と思った作田社長は独立を打診してみたのだった。

しかし、裏野自身には子供が3人いて、不安と心細さでいっぱいだった。

「結果的には、あのときに独立したからこそ現在の『東洋発条製作所』がある」と思っている。



裏野のすぐ後輩にあたる越岡元弘は、昭和39年(1964)8月11日に、建具屋を経営していた父親が手に怪我をしたのを機会に、当社を退職して父親の仕事を手伝った。

建具屋に精を出す一方で、バネ製造会社を設立しての二頭立てで仕事をした。越岡が28歳のときの独立である。

越岡が独立するに当たっては、作田社長が「得意先を回ってこいよ」と言ってくれた。

これは得意先のいくつかを持って行けよ、という暗示だったのだと思う。


ばね物語21




越岡の退職をフォローするために永田昭夫が大阪営業所から本社に戻り、昭和40年(1965)から常務取締役を務めて本社営業に全力を注いだ。

この年に続いて永田隆光が独立した。

隆光の場合は、幸い妻の良子が美容師の免状をもっていたので美容院を開き、内職をしなばら工場を地道に経営することができた。



隆光が辞めたあとなので、自立を決めていた吉川晋吾は気を使って辞表をだしづらかったが、1年ほど前から決心していたこともあり、思い切って昭和41年(1966)1月31日に独立した。

バネの種類は『フセハツ工業』が扱う線バネとは違う板バネを製造した。

その後も昭和43年(1968)に永田一義、昭和44年(1969)に竹山保が矢継ぎ早に独立した。


ばね物語21




永田昭夫は13年間在職して、布施発条工業所時代を築いた仲間では最後の独立になった。

昭夫が退職するときは「社長の右腕なのに、なぜ辞めるのか」と周囲から言われて苦しんだが、子供が小学校に入学する時期でもあったので、将来の子供のことを考えると、独立するには今がチャンスだった。

営業部門での仕事がほとんどだったので顧客とのつながりがあって、少々の仕事が入り手作業でできる内職のようなことから始めた、


作田社長は独立していく人たちにそれぞれ援助をした。

ある人は工場の世話、またある人は仕事、借入金の保証人などになって手を差しのべてくれた。

作田社長の度量の深さと包容力のお陰で、ここまでこれたと思う、とフセハツ卒業生は口をそろえて感謝の言葉をのべている。


ばね物語21




それに、作田社長は人に優しいところがあった。永田一義が独立したあと、野球をしていて膝の皿を割って半年も入院したときに、作田社長は忙しい中、週に三回も見舞いにきて仕事のことを心配してくれた。

『フセハツ工業』から独立して巣立っていく者がいる一方で、八田専務は昭和45年(1970)に患っていた喘息がもとで亡くなった。

根っからの酒好きが八田の命を縮めたのである。

永田昭夫が退職したことにより、本社の元締めがいなくなったので、作田為宣が本社に転勤して副社長に就任した。

本社では越岡の下で鍛えられた田熊輝男が営業部門を守っていた。

竹山保が退職し、為宣が去った大阪営業所を吉村がリードした。

大阪営業所は吉村のほか、営業に友永勇字、木村伸司、配送は中村茂夫、営業事務は高盛周子、それに貿易部門担当として英語が得意な林源次郎のほか竹原平八郎、吉井邦子、山田耕作、経理担当として平井高子と塚田正という陣容で個性に富んだ人たちが頑張っていた。





とくに林は当時すでに60歳を超えていたが、若いときにアメリカの親類を頼って渡米、日常生活の中で英語をマスターし、英会話しているときの林は若者のようであった。



会社の人材が一挙に入れ替わろうとしていた。

昭和45年(1970)に開催された大阪万博博覧会で関西経済は好況で、当社の売り上げもぐんぐん伸びた。

売上目標に達成すると、一人頭1,500円が給料以外に支給された。

そして、売上と利益の差によって臨時金の支給制度を設けて、大阪営業所は本社の倍ほどの額が出た。

あまりにも差額が大きかったので本社社員からクレームがついたほどだった。

関西経済が活況を呈している中で、フセハツ工業も新しい人材が育ちつつあった。



ばね物語21




>社史『ばね物語』20 飛翔(2) 作田為宣の入社

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代表取締役社長 吉村篤

2000年、ばねの総合メーカー「フセハツ工業株式会社」に入社。2013年、四代目代表取締役社長に就任。

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Mon, 22 Jun 2026 15:06:11 +0900
<![CDATA[社史『ばね物語』20 飛翔(2)作田為宣の入社]]> https://www.fusehatsu.co.jp/blog/2026/06/19/188
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ばね物語 フセハツ工業50年の歩み

フセハツ工業の社史『ばね物語』は、三代目社長吉村健一が社業50周年を記念して発刊しました。


社史『ばね物語』発刊にあたり、協賛いただいたフセハツ工業OB会の方々。

株式会社東洋発条製作所     代表取締役 浦野春夫
コシオカ産業株式会社      代表取締役 越岡元弘
コシオカ産業株式会社        取締役 越岡伸子
株式会社隆光スプリング製作所  代表取締役 永田隆光
株式会社永田発条        代表取締役 永田昭夫
永田スプリング製作所         社長 永田一義
株式会社タイガーバネ製作所   代表取締役 竹山保
タツマ工業株式会社       代表取締役 吉川晋吾
協和バネ製作所            社長 中田鉄弘
フセハツ工業株式会社      代表取締役 吉村健一


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飛翔(2)作田為宣の入社

若手経営者でバネ業界にも奉仕

吉村から半年ぐらい遅れて、作田忠雄の長男・為宣が関西大学を卒業して入社した。

作田社長の後を継ぐために、為宣は大阪営業所に配属された。

吉村は為宣とはそれまで面識がなく、為宣と会って、初めて作田社長の子息であることを知った。

為宣は体格が立派な人で、元気で鞭撻さわやかな好青年だった。

体が大きかったので車の運転は多少苦手なようす、半日で自動車のクラッチを滑らせて動かなくさせたこともあった。

また、外注先の人たちを桃谷の料亭「玉一」に招待したとき、大変気分をよくされてその酒豪ぶりを披露、周りが舌を巻いたほどだった。

為宣は将来、『フセハツ工業』を担っていかなければならない、という気概に燃えていた。

日本ばね工業会西部支部に昭和生まれの経営者の会として「昭和会」が昭和43年(1968)に結成したが、副社長に就任していた為宣は、昭和52年(1977)に昭和会会長を務めて、若手経営者としてバネ業界の発展に尽くした。






ばね物語20




>社史『ばね物語』19 飛翔(1) フセハツ工業(株)に社名変更

>社史『ばね物語』21 飛翔(3) フセハツ卒業生

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フセハツ工業株式会社

代表取締役社長 吉村篤

2000年、ばねの総合メーカー「フセハツ工業株式会社」に入社。2013年、四代目代表取締役社長に就任。

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Fri, 19 Jun 2026 15:34:48 +0900
<![CDATA[社史『ばね物語』19 飛翔(1)フセハツ工業(株)に社名変更]]> https://www.fusehatsu.co.jp/blog/2026/06/17/187
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ばね物語 フセハツ工業50年の歩み

フセハツ工業の社史『ばね物語』は、三代目社長吉村健一が社業50周年を記念して発刊しました。


社史『ばね物語』発刊にあたり、協賛いただいたフセハツ工業OB会の方々。

株式会社東洋発条製作所     代表取締役 浦野春夫
コシオカ産業株式会社      代表取締役 越岡元弘
コシオカ産業株式会社        取締役 越岡伸子
株式会社隆光スプリング製作所  代表取締役 永田隆光
株式会社永田発条        代表取締役 永田昭夫
永田スプリング製作所         社長 永田一義
株式会社タイガーバネ製作所   代表取締役 竹山保
タツマ工業株式会社       代表取締役 吉川晋吾
協和バネ製作所            社長 中田鉄弘
フセハツ工業株式会社      代表取締役 吉村健一


『フセハツ工業』の企業理念
 弾む原理を進化させ、
 小さくても大きな使命と責任感をもって
 社会に貢献すべし


飛翔(1)フセハツ工業(株)に社名変更、吉村健一の入社

中堅企業として組織化進む

昭和41年(1966)8月、『(株)布施発条工業所』を『フセハツ工業(株)』に変更した。

折しも、昭和42年(1967)2月1日に布施市、河内市、枚岡市が合併して東大阪市が誕生した。

昭和42年(1967)3月、吉村健一が『フセハツ工業』に入社するきっかけは、母親の兄になる叔父の梅田正義が、作田忠雄社長と旧知の仲だったことである。

梅田正義は東大阪市長瀬でバネ製造業を営んでいた。

19歳で入社した吉村は最初、工場でクラッチのリターンバネの巻き取りの作業をしていた。

4月20日、会社の決算日に工場の材料や半製品、消耗品などを調査して記載した。そのときのまとめ方が優れていたので作田社長の目にとまり、三か月後に工場から営業に職種変えとなった。




ばね物語19



社長は在庫帳に目を通して、「ましな字を書く子がいてるな」と、そばの人に漏らしていたのを吉村は、後日人づてに聞くことになる。

この時期に社長の目にとまったことが、吉村の人生を大きく変えた。

谷町営業所は改装工事をしていて完成間近となっていたし、店名を大阪営業所と変更して独立採算の形態に移行しようとしていたので、新たな人材が必要でもあった。

大阪営業所には竹山所長のほかに女性従業員が一人いるだけだった。

営業所では直接買いに来るお客の対応と、電話注文を聞いて受注商品の種類、数量に応じて工場で生産するもの、外注へお願いするものなど得意先管理と外注管理を任された。

工場で三か月間、バネ作りを言われるがままにしていただけなので、バネについての知識がまるでない。

吉村は竹山所長の営業センスを肌で覚え、特に作田社長には商売の「いろは」をマンツーマンで伝授された。




ばね物語19


吉村は普通高校卒業なので、ノギスの測り方さえ分からない。図面で注文がきたバネについて材質を選び重量を計算し、材料費を見積もる。

この商品がどういう作業工程をたどって完成品になるのかを見極め、使い機械の種類と、一日に作ることができる製品の量を予測する。工場現場を知らないと加工賃さえ算出できない。

たとえば、あるバネに関しては製造工程の半分は機械加工できるが、あと半分は手作業が必要である場合に、手作業の一人当たりの一日の日当がいくらかかるかという計算が必要なわけで、入社して三か月しか工場の現場を知らない吉村に、作田社長は徹底して教えた。

見積もりの計算を社長は吉村に筆算でたたき込んだ。お互いの計算が合うまで何度もやり直した。

新しくなった営業所の陳列ケースに社長と二人で、バネのサンプル品を吊り下げては、「ああでもない、こうでもない」と言いながら手伝ったことが懐かしい。

吉村は工場に出向き製造担当者に機械のセット時間、生産数量、消耗部品の摩耗度などを聞き、外注先に出向いては手仕事の状況をつぶさに観察して、バネの製造方法を学ぶとともに商品の善しを覚えていった。

小企業から中堅企業へと組織が大きくなり、従業員の数も増えてきて、“おやじさん”から“社長”と呼ばれる時代となり、営業活動で売上を伸ばすことが会社の命運を決める大きな要素になってきていた。

吉村は竹山所長と二年間一緒に仕事をしている。

その後、竹山が独立して吉村が21歳のとき大阪営業所を任されることになった。



ばね物語19




>社史『ばね物語』18 躍進(10) 月瀬金属の設立

>社史『ばね物語』20 飛翔(2) 作田為宣の入社

>お問い合わせはこちら 

監修者

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フセハツ工業株式会社

代表取締役社長 吉村篤

2000年、ばねの総合メーカー「フセハツ工業株式会社」に入社。2013年、四代目代表取締役社長に就任。

  • 一般社団法人 日本ばね工業会 会員
  • 日本ばね学会 会員
  • 公益社団法人 大阪府工業協会 評議員
  • 東大阪市工業協会 理事
  • 東大阪商工会議所 議員
  • 特定非営利法人 新共創産業技術支援機構(ITAC)理事
  • 一般社団法人 大阪溶接協会 会員
  • 一般社団法人 布施交通安全自動車協会 理事

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Wed, 17 Jun 2026 14:31:51 +0900
<![CDATA[社史『ばね物語』18 躍進(10)月瀬金属の設立]]> https://www.fusehatsu.co.jp/blog/2026/06/16/186
目次


ばね物語 フセハツ工業50年の歩み

フセハツ工業の社史『ばね物語』は、三代目社長吉村健一が社業50周年を記念して発刊しました。


社史『ばね物語』発刊にあたり、協賛いただいたフセハツ工業OB会の方々。

株式会社東洋発条製作所     代表取締役 浦野春夫
コシオカ産業株式会社      代表取締役 越岡元弘
コシオカ産業株式会社        取締役 越岡伸子
株式会社隆光スプリング製作所  代表取締役 永田隆光
株式会社永田発条        代表取締役 永田昭夫
永田スプリング製作所         社長 永田一義
株式会社タイガーバネ製作所   代表取締役 竹山保
タツマ工業株式会社       代表取締役 吉川晋吾
協和バネ製作所            社長 中田鉄弘
フセハツ工業株式会社      代表取締役 吉村健一


『フセハツ工業』の企業理念
 弾む原理を進化させ、
 小さくても大きな使命と責任感をもって
 社会に貢献すべし


躍進(10)月瀬金属の設立

東京化学窯業を従業員ごと買収

『東京化学窯業』は電気蒸し器を製造していて、その蓋の取っ手のバネを当社が納めていた。

昭和39年8月、『東京化学窯業』の奈良県添上郡月ヶ瀬村にあった工場を作田社長が従業員15人ごと買収、資本金856万円で『月瀬金属株式会社』を設立した。

吉川晋吾が改造した機械15台を、大雨が降る夏の暑い日に運び込み、バネ製造会社としてスタートした。



ばね物語18



『月瀬金属』は敷地面積6,600㎡もあり、本社工場の三倍の面積を有していた。

主にクラッチのリターンスプリングとスポーツ用品のエキスパンダーを製造し、手加工や組み立てなどでかさの張る商品でも十分対応できた。

山本晶(現工場長)が『月瀬金属』の技術指導に当たっていた。

当時は西名阪自動車道は開通しておらず、木津、笠置、太田原を通り片道二時間もかけて、材料と製品の運搬に明け暮れていた。

電話連絡をしようと思えば、交換台に申し込んでから1時間後にやっと本社につながるような田舎であった。


ばね物語18


月ヶ瀬は流れのはやい渓流にそって広大な梅林が続き、景観のすばらしいところである。

都会の騒がしさからは遠く離れ、新緑が萌える木々の間を鳥がさえずる山間の村である。

『月瀬金属』には宿泊設備はなかったので、泊りの出張の場合は近くの民宿を利用した。


ばね物語18



鯉料理と鶏料理に舌鼓をうちながら、鮒釣りを楽しめる別天地でもあった。

作田社長は生まれの奄美大島の郷愁だろうか、田舎の素朴な土地柄を好み、社員たちを連れて川原で焼肉パーティーを開いて楽しんだ。

作田社長は、春の桜の季節には花見、秋には松茸狩りと社員を連れて行ったりする、気配りの細かい人だった。




ばね物語18



ばね物語18




>社史『ばね物語』17 躍進(9) 自動車クラッチバネの受注

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フセハツ工業株式会社

代表取締役社長 吉村篤

2000年、ばねの総合メーカー「フセハツ工業株式会社」に入社。2013年、四代目代表取締役社長に就任。

  • 一般社団法人 日本ばね工業会 会員
  • 日本ばね学会 会員
  • 公益社団法人 大阪府工業協会 評議員
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  • 東大阪商工会議所 議員
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Tue, 16 Jun 2026 15:50:13 +0900
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ばね物語 フセハツ工業50年の歩み

フセハツ工業の社史『ばね物語』は、三代目社長吉村健一が社業50周年を記念して発刊しました。


社史『ばね物語』発刊にあたり、協賛いただいたフセハツ工業OB会の方々。

株式会社東洋発条製作所     代表取締役 浦野春夫
コシオカ産業株式会社      代表取締役 越岡元弘
コシオカ産業株式会社        取締役 越岡伸子
株式会社隆光スプリング製作所  代表取締役 永田隆光
株式会社永田発条        代表取締役 永田昭夫
永田スプリング製作所         社長 永田一義
株式会社タイガーバネ製作所   代表取締役 竹山保
タツマ工業株式会社       代表取締役 吉川晋吾
協和バネ製作所            社長 中田鉄弘
フセハツ工業株式会社      代表取締役 吉村健一


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 弾む原理を進化させ、
 小さくても大きな使命と責任感をもって
 社会に貢献すべし


躍進(9)自動車クラッチバネの受注

不良品は人命にかかわる

電気製品から自動車へと世相の変化、個人消費も大きく拡大しようとする昭和35年(1960)ごろ、クラッチ製造会社との取引が始まり昭和39年(1964)から受注量が急に増え始はじめた。

取引当初はリターンバネを巻くのに、一人が旋盤の操作、もう一人が巻取りをして、二人でかかっていた。

受注量の拡大での能率の悪いやり方ではとても対応できないと考えた吉川晋吾は、今里で中古機械を購入し、半年をかけて一人で操作でき、しかも精度のよい専用機に改造した。

そのお陰で能率が上がり、大量受注にも十分対応できた。

住み込みの社員たちは朝5時から夜11時ごろまで、ぶっ続けの作業を一か月間続けたこともあった。

永田隆光は手さばきが速くて、人の倍ほどの数を巻いて、周囲の人を驚かせたぐらいであった。

巻取りは吉川が改造した機械で大量に生産できるようになったが、その後の二次加工、三次加工などは社内で消化しきれず、外注に出したり、社員が持ち帰って内職したりして指定された納期に間に合わした。




ばね物語17



ばね物語17

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車のクラッチがもし欠陥品だったら、自己につながり人命にかかわる責任問題になるので、決して不良品を出すことが許されない。ちょっとした傷にも気を使った。

しかし、傷に気を使いすぎると納期が遅れる。納期が遅れればクラッチ製造会社の生産ラインが止まってペナルティーとなる。そのジレンマに当社が悩み続けたことも事実である。

精密さと生産のスピードを要求されるクラッチ製造会社の仕事で鍛えられておれば、他社のたいていの仕事は無理なくこなせた。

製品の不良品をなくすことと、納期を守ることが会社の信用であると自覚する永田隆光は職長として厳しく検品した。

事実、生産された製品の品質管理は自慢のできるもので、常に納品先での品質管理ランクのトップ位置をつづけた。

今日でも伝統となって続いている。




ばね物語17





>社史『ばね物語』16 躍進(8) アイデア商品

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代表取締役社長 吉村篤

2000年、ばねの総合メーカー「フセハツ工業株式会社」に入社。2013年、四代目代表取締役社長に就任。

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Wed, 10 Jun 2026 09:35:38 +0900
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ばね物語 フセハツ工業50年の歩み

フセハツ工業の社史『ばね物語』は、三代目社長吉村健一が社業50周年を記念して発刊しました。


社史『ばね物語』発刊にあたり、協賛いただいたフセハツ工業OB会の方々。

株式会社東洋発条製作所     代表取締役 浦野春夫
コシオカ産業株式会社      代表取締役 越岡元弘
コシオカ産業株式会社        取締役 越岡伸子
株式会社隆光スプリング製作所  代表取締役 永田隆光
株式会社永田発条        代表取締役 永田昭夫
永田スプリング製作所         社長 永田一義
株式会社タイガーバネ製作所   代表取締役 竹山保
タツマ工業株式会社       代表取締役 吉川晋吾
協和バネ製作所            社長 中田鉄弘
フセハツ工業株式会社      代表取締役 吉村健一


『フセハツ工業』の企業理念
 弾む原理を進化させ、
 小さくても大きな使命と責任感をもって
 社会に貢献すべし


躍進(8)アイデア商品

創業者開発を楽しむ

作田社長は新商品を考案するのが好きであった。

デパートに行き、売り場の隅々まで回って、売れている商品をチェックし、またその商品にどう手を加え、どんな商品に応用できるかを考えた。

月額20~30万円の予算枠をとってあったので、考案、工夫、実験を楽しみながら繰り返した。

特許一覧表を閲覧して、考案した商品がパテントをとる価値があるかないか調べたりもした。

そのようにして作田社長がアイデアを生かした開発した商品に、ゴルフボールを置くティーをスプリングで使ったものもあった。米軍の手榴弾からヒントを得てハンドグリップを考案した。

ハンドグリップはブームを引き起こすほどインパクトをもつ商品ではなかったが、コンスタントに売れ続け、現在なお当社のメーン商品として販売されている。

これらのアイデア商品は長く谷町営業所に陳列していた。




ばね物語16



また、昭和39年(1964)の東京オリンピック開催に合わせ、ゴム製の五色のエキスパンダーを共和ゴムと共同で開発した。

ゴムを1メートルずつ切り、切った両端をリングで止めて抜けないようにして、取っ手にくっつけて五色エキスパンダーを作った。

また、異形線を応用して階段からひとりでに降りてくるスプリングも作ったし、自転車の荷台に荷物を固定する三角形に結んだゴム紐を考案した。

作田社長は枕元に絶えず筆記用具を置いておき、よいアイデアが浮かぶとメモしておき翌朝すぐに実行に移した。

それほど新商品の開発を楽しんだ人である。



ばね物語16




このころの作田社長は、町工場から事業へ脱皮する節目に当たるときで、実業家として自覚されたのだろう。

経営も創業時の苦しさを通り越して安定の兆しをみせはじめ、最も充実した日々を送っていた。

長男の為宣が高校に通っていて、将来は会社を継いでくれることが、なによりも忠雄にとって安心できることだった。

忠雄は毎朝、ラジオ体操や剣道の素振りをすることが健康法だった。

工場の片隅で為宣と剣道に興じている風景も時々見かけられた。

作田社長は自動車の運転免許を持っていないこともあって、よく歩いた。

本社から谷町の営業所に来るとき、電車にもバスにも自転車にも乗らずに歩くのである。

町中をながめながら歩き、ここにはこいいう専門店がある、ここの工場では何を作っていて、バネを使ってくれそうだ、などと記憶しておいて次の営業活動に活用するのである。



ばね物語16





>社史『ばね物語』15 躍進(7) 山本晶の入社・奄美大島から最後に来た人

>社史『ばね物語』17 躍進(9) 自動車クラッチバネの受注


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代表取締役社長 吉村篤

2000年、ばねの総合メーカー「フセハツ工業株式会社」に入社。2013年、四代目代表取締役社長に就任。

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Tue, 09 Jun 2026 10:06:38 +0900