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社史「ばね物語」
2026/04/03

社史『ばね物語』8 創業(4)

吉村 篤
ばねとくらす


ばね物語 フセハツ工業50年の歩み

フセハツ工業の社史『ばね物語』は、三代目社長吉村健一が社業50周年を記念して発刊しました。


社史『ばね物語』発刊にあたり、協賛いただいたフセハツ工業OB会の方々。

株式会社東洋発条製作所     代表取締役 浦野春夫
コシオカ産業株式会社      代表取締役 越岡元弘
コシオカ産業株式会社        取締役 越岡伸子
株式会社隆光スプリング製作所  代表取締役 永田隆光
株式会社永田発条        代表取締役 永田昭夫
永田スプリング製作所         社長 永田一義
株式会社タイガーバネ製作所   代表取締役 竹山保
タツマ工業株式会社       代表取締役 吉川晋吾
協和バネ製作所            社長 中田鉄弘
フセハツ工業株式会社      代表取締役 吉村健一


『フセハツ工業』の企業理念
 弾む原理を進化させ、
 小さくても大きな使命と責任感をもって
 社会に貢献すべし


創業(4)奄美大島から永田隆光と伸子の入社

「密航」本土の遠さ

15歳のとき大阪に出てきた作田忠雄は、昭和26年(1951)3月には満35歳になっていた。

奄美大島を出てから20年の歳月が流れ、奄美大島で過ごした時間よりも、大阪で生活した時間の方が長くなった。

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作田忠雄の妻、タカヰの弟の永田隆光は昭和26年(1951)5月、米軍統治下にある奄美大島から大阪へ出ようと決心した。

奄美大島の生活は、山に木を伐りに行ったり、ササを刈ってきて普請したり、刈ってきたカヤを売って小遣いにしたり、荒れ地を耕してイモを植えた。

若い隆光にとっては単調な生活であった。

友人たちは奄美大島の生活が嫌になって、米軍基地の仕事を探しに沖縄に渡っていった。

忠雄の父、忠仁は「沖縄に行くぐらいなら、大阪の忠雄のところへ行け」と言った。

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米軍統治下にあって、日本本土へ渡るにはパスポートが必要な時代である。

渡航を禁止されていながらも、奄美大島から黒砂糖、鰹節を積んだ小型漁船が屋久島、鹿児島などに命がけで運んで、靴などの日用品と物々交換していた時代なのである。

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隆光が奄美大島を出発するとき、父親は線香を立てて、別れの杯を酌み交わした。

“密航船”に乗って隆光は島伝いに鹿児島を目指した。

口之島から屋久島の間が米軍統治下の境界線である。

この海域を突破できれば、本土への脱出は成功である。

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隆光の乗った小型漁船は口之島から夜の闇にまぎれて出帆した。

8時間かけて屋久島に到着した。

屋久島から鹿児島までは定期便があり、無地鹿児島に着いたので大阪へ電報を打った。

奥村輝義が大阪から鹿児島まで迎えに来てくれた。

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隆光は夢にまで見た大阪にやってきた。

姉のタカヰが大阪にいたので気持ちは楽だった。

しかし、実際に来てみると、『布施発条工業所』のある布施は奄美大島の名瀬よりもひなびたところで、大阪市内には焼け跡がまだ残っていて、殺伐とした風景が広がっていた。

のんびりとした奄美大島が懐かしく思い出され、隆光はホームシックになった。

大阪に来た歓迎の意味で、忠雄は隆光を天王寺動物園につれて行った。

奄美大島には動物園はなかった。

また、初めて観る大劇のOSKの華やかな踊りにも目を奪われ、感激した。

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大阪に着いて二、三日後に隆光は『布施発条工業所』に入社した。

仕事は鋼線を切る工程を最初に担当した。

働き始めて一か月ほど、隆光は御厨の作田忠雄の自宅に寝泊まりしたが、その後は火元責任者として工場に泊まるようになった。

ばね物語



昭和26年(1951)7月に、難波の大阪球場で関西初の夜間照明が設備された。

9月には大阪市立美術館でピカソ展が開かれ、12月には国際見本市館が開業した。

戦後の荒廃した大阪で、人々の生活に明かりがつき始めたところである。

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作田忠雄の妹、16歳の伸子は申請していたパスポートが1年かかってやっと出て、大阪に行こうとしていた。

伸子という名前は忠雄が付けた。

忠雄と伸子は20歳の年齢の開きがある。

タカヰと結婚するために忠雄が奄美大島に帰ってきたとき、伸子は6歳だった。

見ず知らずの兄を見て、伸子はとても恥ずかしかった。

やがて伸子が小学校に入学しようとするとき、大阪にいる忠雄からランドセルなど一揃いが送られてきた。

真新しい学用品をみて伸子は胸が躍り、入学する日を待ち遠しく思ったものだった。

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大阪へ行くと決まってから伸子は、1年間ほど父親に厳しく仕付けられた。

朝早く起きてまず家の周りを掃き、海岸から砂を三回ほど運んできて家のぐるりに撒いた。

続いて縁側の掃除をしたあと、ソロバンの練習をしてから学校へ行った。

大阪へ行くのは兄の事業を手伝うのが目的だから、朝、昼、夜の食事の前に「大阪のお兄さんが頑張っているのだから、お前も頑張らなければならない」と父親に聞かされてから箸を持った。

また、「大阪の兄の家に行っても、忠雄を兄と呼ばず、タカヰを姉さんと呼ばず、社長、奥さんと呼びなさい」と言われた。

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