社史『ばね物語』4 出発(3)
吉村 篤
ばね物語 フセハツ工業50年の歩み
フセハツ工業の社史『ばね物語』は、三代目社長吉村健一が社業50周年を記念して発刊しました。
社史『ばね物語』発刊にあたり、協賛いただいたフセハツ工業OB会の方々。
株式会社東洋発条製作所 代表取締役 浦野春夫
コシオカ産業株式会社 代表取締役 越岡元弘
コシオカ産業株式会社 取締役 越岡伸子
株式会社隆光スプリング製作所 代表取締役 永田隆光
株式会社永田発条 代表取締役 永田昭夫
永田スプリング製作所 社長 永田一義
株式会社タイガーバネ製作所 代表取締役 竹山保
タツマ工業株式会社 代表取締役 吉川晋吾
協和バネ製作所 社長 中田鉄弘
フセハツ工業株式会社 代表取締役 吉村健一
『フセハツ工業』の企業理念
弾む原理を進化させ、
小さくても大きな使命と責任感をもって
社会に貢献すべし
出発(3) 為宣の誕生
灯火管制の中で陣痛、長男の誕生
昭和19年(1944)7月4日、臨月を迎えたタカヰは、陣痛が起こり産婆さんに来てもらったが、灯火管制のために明かりをつけることができなかった。
電灯のカサの上にタオルをかけて、明かりが広がるのを防ぎ、タカヰは力いっぱい力んだが、お腹の中の赤子が大きくて、なかなか生まれなかった。
空襲警報のサイレンがけたたましく鳴り渡った。
夜7時になってやっと、薄明りの中で産声をあげた。
息をつめるようにして暮らすこの世で、精一杯の声をあげて泣く赤子に生きていく希望をタカヰはひしひしと感じた。
目方が一貫目以上ある丸々と太った男児だった。名前を「為宣(ためのぶ)」とつけた。
母乳で半年育てたが、その後は配給の粉ミルクを飲ませた。

8月には大阪の学童疎開第一陣として、八つの小学校の児童が和歌山へと向かった。
サイパン基地を手中におさめた連合軍は、B29による本土襲来を開始した。

戦局も押し詰まり、故郷の奄美大島では米軍の機銃掃射と爆撃が激しくなった。
日本守備隊の江頭少尉は食糧が欠乏していて戦闘どころではなく、山から村に降りて来てはナンキンやイモを持って行った。
米軍の上陸に当たっては一発の弾も撃たず、山の防空壕へ逃げてしまった。
米軍の攻撃目標は日本軍の防空壕に絞られて、かえって村は助かった。
極洋丸という捕鯨船が難破していて、米軍機は難破船を狙って爆撃した。
米軍の空襲が激しくて田畑で作物が作れず、食糧不足でソテツの実や幹を食べたりもした。
昭和20年(1945)1月3日に大阪市内に初めての空襲があった。
3月13日深夜から翌14日未明にかけて「B29」約90幾が大阪を大空襲、市内の13万世帯49万5000余人が被災した。
背中から下ろされた為宣はバネをおもちゃがわりにして遊んでいた。
忠雄は外出することが多くなり、タカヰは空襲警報のサイレンが鳴るたびに為宣を背負って隣組の広場につくってあった防空壕に逃げ、間一髪で助かったこともあった。
毎日が家と防空壕の間の往復に明け暮れた。
食糧難の時代に、神戸に住んでいたおばさん、作田キヌが高価なカマボコなどをよく届けてくれた。
身内はありがたいものだと、タカヰは感謝した。
小阪駅近くの路線が爆撃されて、吹き飛んだ時は、生きた心地がしなかった。

8月15日、人々はそれぞれの思いを胸に玉音放送に耳を傾けた。
「朕深く世界の大勢と帝国の現状に鑑み、非常の措置を以て時局を収拾せんと欲し、ここに忠良なるなんじ臣民に告ぐ……」
という天皇陛下の声が、ラジオから雑音に交じって聞こえてきた。
「戦争は終わった」という思いで、作田忠雄・タカヰ夫妻の胸に開放感がわいた。

戦争が終わって、ずっと後に、親類のものからの便りでは、奄美大島の名瀬に米軍が進駐してきたという。
女は強姦され男は殺されるという噂だったので、島の住民は脅えた。
ところが、進駐してきた米軍は子供をジープに乗せてくれるし、チューイン・ガムはくれるしで、噂とは大きな違いだった。

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