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社史「ばね物語」
2026/04/22

社史『ばね物語』11 躍進(3)

吉村 篤
ばねとくらす


ばね物語 フセハツ工業50年の歩み

フセハツ工業の社史『ばね物語』は、三代目社長吉村健一が社業50周年を記念して発刊しました。


社史『ばね物語』発刊にあたり、協賛いただいたフセハツ工業OB会の方々。

株式会社東洋発条製作所     代表取締役 浦野春夫
コシオカ産業株式会社      代表取締役 越岡元弘
コシオカ産業株式会社        取締役 越岡伸子
株式会社隆光スプリング製作所  代表取締役 永田隆光
株式会社永田発条        代表取締役 永田昭夫
永田スプリング製作所         社長 永田一義
株式会社タイガーバネ製作所   代表取締役 竹山保
タツマ工業株式会社       代表取締役 吉川晋吾
協和バネ製作所            社長 中田鉄弘
フセハツ工業株式会社      代表取締役 吉村健一


『フセハツ工業』の企業理念
 弾む原理を進化させ、
 小さくても大きな使命と責任感をもって
 社会に貢献すべし


躍進(3)永田兄弟の入社

だれもが深夜まで仕事仕事

奄美にいたころの永田昭夫・一義兄弟にとって、タカヰは姉さんのようなものだった。

一義が3歳のとき、父親が32歳で破傷風のために亡くなり、母親はその前年に亡くなっていた。

タカヰの父親、永田隆市に幼い昭夫と一義は引き取られ、タカヰの弟の隆光と兄弟のように一緒に育った。

昭夫は中学校を卒業してから一年ほど奄美大島にいたが、大島では教師になるか、役所に勤めるか、警察官になるかしか生計のたてようがなかった。

すでに両親は他界していたが母親の出身地、千葉県に祖母が健在だったので、東京へ行って、夜学に通っていた。

この年の暮れに忠雄から「大阪に遊びにおいで」といって、書留で4,000円が送られてきた。

東京と大阪間の交通費が2,000円の時代である。

「大阪でも夜学は通えるよ」と手紙に書き添えてあった。

祖母に相談したところ、「お金を送り返しなさい」と言われたが、一度様子を見に大阪に行くことにした。


ばね物語



昭夫は作田忠雄の母親(冨士松)の弟(正夫)の息子で、忠雄とは従弟同士の間柄であった。



ばね物語11



昭和29年(1954)暮れ、昭夫は大阪駅のプラットフォームに降り立った。

永田隆光が迎えに来ているはずなのに、会えなかった。

縁戚の者が曽根崎警察署に勤務していると聞いていたので、『布施発条工業所』までの道順を尋ねに行ったら、布施警察署へ行けばいいと教えてくれた。

作田忠雄の工場は布施警察署の近くだった。


ばね物語11



工場内あった平屋に隆光と一緒に寝泊まりして、朝食は御厨の事務所まで歩いて行って摂り、自転車に乗って谷町の営業所へ通った。

仕事が終わったあと夜学に通い、学校が終わって帰ると夜食を残しておいてくれていた。

みんな夜遅くまで仕事をしていたので、学校へ行くのに気がひけてならなかったそうである。


ばね物語11


一方、永田昭夫の弟の一義が、昭和30年(1955)の暮れに名瀬港から船に乗って神戸に着いた。

兄の昭夫が迎えに来てくれていた。

一義は奄美大島の名瀬でパン屋に勤めていて、給料4,000円のとき、作田社長は大阪までの船賃として6,000円を送ってくれていた。


ばね物語11


布施に来てみたら名瀬よりも閑散としていて、寂しいところだった。

布施に来た最初の正月、奈良公園に連れて行ってもらった。

始めて行った奈良には寺社仏閣があちこちにあり、奄美大島では見ることのできない落ち着いた雰囲気だった。

鹿が奈良公園に中を群れをなして、ゆったりと歩いている景色は、どこか異国に来たような気がしたという。

また、越岡と兄の昭夫と三人で天王寺動物園に行き、大劇の華やかなショーを観劇すると、大阪もまんざら悪くはないなと思えた。


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一義は入社して線出しの仕事から始め、ホッピングのバネの先をグラインダーで研削した。

そのころの作田社長は昼は背広、ネクタイ姿で営業に回り、夜は夜で作業着に着替えて深夜まで仕事をしていた。


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