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社史「ばね物語」
2026/03/24

社史『ばね物語』5 創業(1)

吉村 篤
ばねとくらす


ばね物語 フセハツ工業50年の歩み

フセハツ工業の社史『ばね物語』は、三代目社長吉村健一が社業50周年を記念して発刊しました。


社史『ばね物語』発刊にあたり、協賛いただいたフセハツ工業OB会の方々。

株式会社東洋発条製作所     代表取締役 浦野春夫
コシオカ産業株式会社      代表取締役 越岡元弘
コシオカ産業株式会社        取締役 越岡伸子
株式会社隆光スプリング製作所  代表取締役 永田隆光
株式会社永田発条        代表取締役 永田昭夫
永田スプリング製作所         社長 永田一義
株式会社タイガーバネ製作所   代表取締役 竹山保
タツマ工業株式会社       代表取締役 吉川晋吾
協和バネ製作所            社長 中田鉄弘
フセハツ工業株式会社      代表取締役 吉村健一


『フセハツ工業』の企業理念
 弾む原理を進化させ、
 小さくても大きな使命と責任感をもって
 社会に貢献すべし


創業(1)『バネ作』を設立

何度も通った作り方の勉強

自宅近くに『岸本発条』があって、岸本発条から「バネ」を仕入れて、鍋・釜・バケツなどの金物を一緒に売ってみたら、たちまち売れてしまった。

金物類は『中村金物店』の人が全部買い取ってしまい、商売といえたかどうか。

忠雄は「バネ」に興味をもち、作ってみようと思うようになった。

昭和21年(1946)、自宅を6坪の作業場と14.5坪の店に改造して、バネ製造業『バネ作』の看板を掲げ製造業として再スタートした。

ばね物語



昭和22年(1947)2月23日に長女、多英子(たえこ)が生まれた。

自宅の一階で忠雄がこつこつとバネを作り、二階の住まいでは赤子の多英子が泣いている横を、3歳近い為宣(ためのぶ)が走り回った。



ばね物語


昭和23年(1948)、まだ食糧難の時代である。

忠雄は食べ物を求めて、近在の農家に野菜を分けてもらいに回った。

鍋・釜・金網・針金などの日用品と野菜の物々交換である。

懇意になった農家の一軒に裏野という家があり、ちょうど働き盛りの息子、春夫がいた。

忠雄は「春夫をうちで働かさないか」と誘ってみた。

中学校を卒業した浦野春夫(のち、東洋発條製作所 社長)は、昭和23年3月、16歳で『バネ作』で働くようになった。


ばね物語




裏野の先輩に寺崎がいた。寺崎が『バネ作』の従業員第1号である。裏野は2号ということになる。

布施市御厨には50メートル四方に『岸本発条』と『太陽発条』という2件バネ屋があった。

忠雄は注文を取ってきてもバネの作り方を知らなかったので、旋盤を使って作るのに苦労した。

現在の旋盤のような内部でセットされた構造ではなく、ベルトを通して手で調節するものだった。

忠雄は『岸本発条』や『太陽発条』に作り方を教わりに何度も通った。

後に入社する越岡元弘(のち、コシオカ産業 社長)の義兄である梅田正義(のち、梅田バネ 社長)は当時『太陽発条』に勤めていて、忠雄とは将棋仲間で親しかった関係から、元弘を忠雄に紹介した。

そして、梅田の妹の子が『フセハツ工業株式会社』現社長の吉村健一である。

梅田正義は「それはもう熱心で、成功する人はどこか他の人とは違っていた」と述懐している。



ばね物語



二か月間は他社通いの連続だった。

自転車に乗っての配達は裏野の仕事だった。

自転車は貴重なもので、空気を入れないノーパンクのタイヤで、重たい運搬車だった。



ばね物語




昭和23年(1948)ごろ、自転車のスタンドのバネの仕事が入ってきた。

材料の鋼材は上本町四丁目の『鈴木鋼材』から仕入れた。少量の鋼材なら電車に乗って買いに行った。

量が多いときは『鈴木鋼材』の舟橋さんが自転車でリヤカーを引っ張って運んできてきれた。

自転車のスタンドのバネは、一日に500個ぼど作っていた。

ドラム缶の中で薪を燃やして、その上に串に通したバネを焼き鳥のように並べて「焼き」を入れた。

製材所で木のヘタを安く買ってきて、ナタで割って薪にした。夏は猛烈に暑かった。


昭和23年(1948)10月9日に次女が生まれ、安偉子(あいこ)と名付けた。



ばね物語

 

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