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社史「ばね物語」
2026/05/11

社史『ばね物語』14 躍進(6)

吉村 篤
ばねとくらす


ばね物語 フセハツ工業50年の歩み

フセハツ工業の社史『ばね物語』は、三代目社長吉村健一が社業50周年を記念して発刊しました。


社史『ばね物語』発刊にあたり、協賛いただいたフセハツ工業OB会の方々。

株式会社東洋発条製作所     代表取締役 浦野春夫
コシオカ産業株式会社      代表取締役 越岡元弘
コシオカ産業株式会社        取締役 越岡伸子
株式会社隆光スプリング製作所  代表取締役 永田隆光
株式会社永田発条        代表取締役 永田昭夫
永田スプリング製作所         社長 永田一義
株式会社タイガーバネ製作所   代表取締役 竹山保
タツマ工業株式会社       代表取締役 吉川晋吾
協和バネ製作所            社長 中田鉄弘
フセハツ工業株式会社      代表取締役 吉村健一


『フセハツ工業』の企業理念
 弾む原理を進化させ、
 小さくても大きな使命と責任感をもって
 社会に貢献すべし


躍進(6)60年代の激動期を乗り切る

長旅に耐えて来阪した父の死

昭和34年(1959)の岩戸景気によって、『布施発条工業所』は資本金を続けて増資した。

昭和35年(1960)6月に260万円に、昭和37年(1962)には650万円に増資した。

当社にとっても明るい話題の多いころだった。



ばね物語14



この年、越岡元弘と作田伸子がめでたく結ばれた。

結婚に当たって作田社長は、妹の伸子のために嫁入り道具をそろえ、父親がわりとなって世話をした。

忠雄は伸子に長年、苦労をかけたという気持ちと妹の幸せを心から喜んでいた。

伸子は16歳で大阪に来て以来、現在まで一度も故郷の奄美大島に帰ったことがない。

昭和32年(1957)12月末、母親の冨士松が病状に伏していたので帰郷して世話をしたかったが、大阪から奄美大島まで船で2日間もかかり、しかも週2便しかなく、押し寄せてくる仕事で手がはなせず、とても時間をさくことができなかった。

翌年の昭和33年(1958)1月1日に母、冨士松は66歳で永眠した。


ばね物語14



父親の忠仁は昭和44年(1969)6月、大阪の病院で治療してもらうという口実で奄美大島から大阪に出て来た。

忠仁は大阪への長旅によく耐えられたものだと思うくらい衰弱していた。

最後に一目みんなの顔を見たかったのだろう。

その年の夏休みには越岡一家で奄美大島に帰ることを忠仁と約束をしていたが伸子自身の体調がすぐれず、帰郷できなかった。


ばね物語14



昭和44年(1969)11月7日、訃報が届いた。

作田社長は海外出張中で伸子自身もいまだ体調拡幅せず、夫の越岡元弘が代理で奄美大島へと向かった。

父、忠仁は77歳で永眠した。

忠仁は他人に厳しい人だったが、自分に対しても厳しい人だった。



ばね物語14




ばね物語14




ばね物語14




ばね物語14




ばね物語14



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