社史『ばね物語』13 躍進(5)
吉村 篤
ばね物語 フセハツ工業50年の歩み
フセハツ工業の社史『ばね物語』は、三代目社長吉村健一が社業50周年を記念して発刊しました。
社史『ばね物語』発刊にあたり、協賛いただいたフセハツ工業OB会の方々。
株式会社東洋発条製作所 代表取締役 浦野春夫
コシオカ産業株式会社 代表取締役 越岡元弘
コシオカ産業株式会社 取締役 越岡伸子
株式会社隆光スプリング製作所 代表取締役 永田隆光
株式会社永田発条 代表取締役 永田昭夫
永田スプリング製作所 社長 永田一義
株式会社タイガーバネ製作所 代表取締役 竹山保
タツマ工業株式会社 代表取締役 吉川晋吾
協和バネ製作所 社長 中田鉄弘
フセハツ工業株式会社 代表取締役 吉村健一
『フセハツ工業』の企業理念
弾む原理を進化させ、
小さくても大きな使命と責任感をもって
社会に貢献すべし
躍進(5)谷町営業所の充実
マンツーマンで「商品知識」を
昭和26年(1951)に開設した谷町営業所は、商品の情報収集のためには欠かせないアンテナの役目を果たしてきた。
三代目所長を継いだ永田昭夫が営業の最前線にいた。
谷町営業所に配属された昭和30年(1955)、営業所の二階建ての建物は借家で二階には家主が住んでいた。
4年後の昭和34年(1959)に買い取って二階で寝泊まりできるようにして、昭和36年(1961)まで昭夫が住んだ。
永田昭夫は二代目所長の藤井章からバネのノウハウを教えてもらっていた。
自転車に乗って顧客の新規開拓に回った。
谷町営業所では小売の現金商売が多く、その日の売上が住み込み社員たちの生活費となっていた。
雨が降るとお客の足が遠のき、現金が手元に集まらないので、前に注文を聞いていたものを、わざわざ雨の日に配達して現金を集めた。
そして、売上の多い日にはタカヰはホッとした表情になった。
藤井は昭和34年(1959)に独立して『東京発条』を創業した。
昭和34年(1959)に竹山保が、月に1、2便しかない船で天保山埠頭に降り立った。
天保山には姉の良子が迎えにきてくれていた。
良子は昭和31年(1956)に大阪へ出てきて美容師をしていて、すでに永田隆光と結婚していた。
竹山保と作田忠雄の関係は、母親の冨士松の妹の子供が「保」で、従兄弟同士の間柄である。
竹山は入社してすぐ谷町営業所の配属になった。
それというのも忠雄が「これからは営業の時代だ。物づくりよりも営業の方が将来性がある」と言って、竹谷は谷町営業所に配属され、営業所の二階で寝泊まりした。
手取りは2000円からスタートして、三年後に1万円になった。キツネうどん1杯15円の時代である。
谷町営業所の近くにある空堀商店街へ初めて買い物に行ったとき、奄美大島の生活習慣そのままに裸足で出掛けて、帰ってきたら昭夫に叱られた。
竹山は作田社長からマンツーマンで「商品知識」を教育された。
店頭で小売をする一方で、自転車に乗って新規開拓に回った。
新規開拓できた会社としては、車両関係の『新明和』、消防関係の『ヤマト消火器』、淀川区にある『八田工業』などをターゲットにして成果が上がった。
外回りは竹山がして、所長の昭夫は店で客の対応をした。
竹山にとって最大の成果は、大阪大学工学部出身者が多い『松下冷機』の仕事をこなしたことが、大きな自信につながった。
谷町営業所には兵庫県の三木、加古川からは金物のバネ、三重県の津、四日市からは工具のバネ、奈良県の大和高田からはメリヤスの織機のバネの注文が多かった。