社史『ばね物語』25 苦難(1)早すぎた忠雄の死
吉村 篤
ばね物語 フセハツ工業50年の歩み
フセハツ工業の社史『ばね物語』は、三代目社長吉村健一が社業50周年を記念して発刊しました。
社史『ばね物語』発刊にあたり、協賛いただいたフセハツ工業OB会の方々。
株式会社東洋発条製作所 代表取締役 浦野春夫
コシオカ産業株式会社 代表取締役 越岡元弘
コシオカ産業株式会社 取締役 越岡伸子
株式会社隆光スプリング製作所 代表取締役 永田隆光
株式会社永田発条 代表取締役 永田昭夫
永田スプリング製作所 社長 永田一義
株式会社タイガーバネ製作所 代表取締役 竹山保
タツマ工業株式会社 代表取締役 吉川晋吾
協和バネ製作所 社長 中田鉄弘
フセハツ工業株式会社 代表取締役 吉村健一
『フセハツ工業』の企業理念
弾む原理を進化させ、
小さくても大きな使命と責任感をもって
社会に貢献すべし
苦難(1)早すぎた作田忠雄の死
激務重なった社長の心労
作田タカヰと弟の永田隆光の父の隆市が大阪で亡くなった。
告別式に永田家の遠縁にあたる幸子が参列していた。
タカヰが「為宣にお似合いの娘さんがいた」ということで、昭和59年(1987)7月に二人は結婚した。
為宣の将来に光が斜したように思えて、忠雄とタカヰは「ホッ」としたようだ。
結婚してからの為宣の健康はすこぶる良くなって、痛風もうすらいで副社長の任を全力でこなせる状態だった。
昭和59年(1984)12月4日、その日の仕事が終わろうとしていた午後6時10分ごろ、作田忠雄社長が二階の社長室から一階の事務所に降りてきた。
ちょうど焼き芋屋が表通りを通りかかったので、残業していた山本晶や北野勇に「食べるか」と声をかけた。
山本は「いいえ、家に帰って夕食を食べますので結構です。ありがとうございます」と返答した。
作田社長は「戸締りお願いしますよ」と言って、隣の自宅に帰っていった。
自宅に帰った忠雄はくつろぎながら、為宣と今後の会社運営について話し合っていた。
為宣が帰った午後9時すぎに突然、忠雄は苦しみ始めた。
胸が痛いのだろう、体を折り曲げて畳の上をクルクルと回った。
タカヰにはどうしようもない。
救急車で運ばれたが、回復しなかった。心筋梗塞による急死である。満67歳の早すぎた死だった。
為宣と幸子が結婚して5ヵ月後の不幸である。
結果論になるが、数ヵ月前に『ツキセ工業』で発生した労働災害への心労に加えて、亡くなる数日前から税務署の調査が入り、心身ともに疲労していて、何日か前から忠雄の顔が冴えなかったという。
長年の心労と体力の低下が原因で心筋梗塞を引き起こす原因になったのであろう。
告別式は東大阪市永和にある浄土真宗本願寺派の永照寺で執り行われた。
得意先に配るつもりの昭和60年度のカレンダーの配布先を、忠雄自身記入したメモが見つかり、家族たちの涙を誘った。
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監修者

フセハツ工業株式会社
代表取締役社長 吉村篤
2000年、ばねの総合メーカー「フセハツ工業株式会社」に入社。2013年、四代目代表取締役社長に就任。
- 一般社団法人 日本ばね工業会 会員
- 日本ばね学会 会員
- 公益社団法人 大阪府工業協会 評議員
- 東大阪市工業協会 理事
- 東大阪商工会議所 議員
- 特定非営利法人 新共創産業技術支援機構(ITAC)理事
- 一般社団法人 大阪溶接協会 会員
- 一般社団法人 布施交通安全自動車協会 理事