社史『ばね物語』21 飛翔(3)フセハツ卒業生
吉村 篤
ばね物語 フセハツ工業50年の歩み
フセハツ工業の社史『ばね物語』は、三代目社長吉村健一が社業50周年を記念して発刊しました。
社史『ばね物語』発刊にあたり、協賛いただいたフセハツ工業OB会の方々。
株式会社東洋発条製作所 代表取締役 浦野春夫
コシオカ産業株式会社 代表取締役 越岡元弘
コシオカ産業株式会社 取締役 越岡伸子
株式会社隆光スプリング製作所 代表取締役 永田隆光
株式会社永田発条 代表取締役 永田昭夫
永田スプリング製作所 社長 永田一義
株式会社タイガーバネ製作所 代表取締役 竹山保
タツマ工業株式会社 代表取締役 吉川晋吾
協和バネ製作所 社長 中田鉄弘
フセハツ工業株式会社 代表取締役 吉村健一
『フセハツ工業』の企業理念
弾む原理を進化させ、
小さくても大きな使命と責任感をもって
社会に貢献すべし
飛翔(3)フセハツ卒業生
独立をうながしバックアップ
当社の社員で早い時期に独立したのは裏野春夫だった。
昭和33年(1958)に作田社長から「独立してみてはどうか」と声をかけられた。
裏野の弟もバネ製造の経験があり、二人で力を合わせれば何とかなるだろう、と思った作田社長は独立を打診してみたのだった。
しかし、裏野自身には子供が3人いて、不安と心細さでいっぱいだった。
「結果的には、あのときに独立したからこそ現在の『東洋発条製作所』がある」と思っている。
裏野のすぐ後輩にあたる越岡元弘は、昭和39年(1964)8月11日に、建具屋を経営していた父親が手に怪我をしたのを機会に、当社を退職して父親の仕事を手伝った。
建具屋に精を出す一方で、バネ製造会社を設立しての二頭立てで仕事をした。越岡が28歳のときの独立である。
越岡が独立するに当たっては、作田社長が「得意先を回ってこいよ」と言ってくれた。
これは得意先のいくつかを持って行けよ、という暗示だったのだと思う。
越岡の退職をフォローするために永田昭夫が大阪営業所から本社に戻り、昭和40年(1965)から常務取締役を務めて本社営業に全力を注いだ。
この年に続いて永田隆光が独立した。
隆光の場合は、幸い妻の良子が美容師の免状をもっていたので美容院を開き、内職をしなばら工場を地道に経営することができた。
隆光が辞めたあとなので、自立を決めていた吉川晋吾は気を使って辞表をだしづらかったが、1年ほど前から決心していたこともあり、思い切って昭和41年(1966)1月31日に独立した。
バネの種類は『フセハツ工業』が扱う線バネとは違う板バネを製造した。
その後も昭和43年(1968)に永田一義、昭和44年(1969)に竹山保が矢継ぎ早に独立した。
永田昭夫は13年間在職して、布施発条工業所時代を築いた仲間では最後の独立になった。
昭夫が退職するときは「社長の右腕なのに、なぜ辞めるのか」と周囲から言われて苦しんだが、子供が小学校に入学する時期でもあったので、将来の子供のことを考えると、独立するには今がチャンスだった。
営業部門での仕事がほとんどだったので顧客とのつながりがあって、少々の仕事が入り手作業でできる内職のようなことから始めた、
作田社長は独立していく人たちにそれぞれ援助をした。
ある人は工場の世話、またある人は仕事、借入金の保証人などになって手を差しのべてくれた。
作田社長の度量の深さと包容力のお陰で、ここまでこれたと思う、とフセハツ卒業生は口をそろえて感謝の言葉をのべている。
それに、作田社長は人に優しいところがあった。永田一義が独立したあと、野球をしていて膝の皿を割って半年も入院したときに、作田社長は忙しい中、週に三回も見舞いにきて仕事のことを心配してくれた。
『フセハツ工業』から独立して巣立っていく者がいる一方で、八田専務は昭和45年(1970)に患っていた喘息がもとで亡くなった。
根っからの酒好きが八田の命を縮めたのである。
永田昭夫が退職したことにより、本社の元締めがいなくなったので、作田為宣が本社に転勤して副社長に就任した。
本社では越岡の下で鍛えられた田熊輝男が営業部門を守っていた。
竹山保が退職し、為宣が去った大阪営業所を吉村がリードした。
大阪営業所は吉村のほか、営業に友永勇字、木村伸司、配送は中村茂夫、営業事務は高盛周子、それに貿易部門担当として英語が得意な林源次郎のほか竹原平八郎、吉井邦子、山田耕作、経理担当として平井高子と塚田正という陣容で個性に富んだ人たちが頑張っていた。
とくに林は当時すでに60歳を超えていたが、若いときにアメリカの親類を頼って渡米、日常生活の中で英語をマスターし、英会話しているときの林は若者のようであった。
会社の人材が一挙に入れ替わろうとしていた。
昭和45年(1970)に開催された大阪万博博覧会で関西経済は好況で、当社の売り上げもぐんぐん伸びた。
売上目標に達成すると、一人頭1,500円が給料以外に支給された。
そして、売上と利益の差によって臨時金の支給制度を設けて、大阪営業所は本社の倍ほどの額が出た。
あまりにも差額が大きかったので本社社員からクレームがついたほどだった。
関西経済が活況を呈している中で、フセハツ工業も新しい人材が育ちつつあった。
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監修者

フセハツ工業株式会社
代表取締役社長 吉村篤
2000年、ばねの総合メーカー「フセハツ工業株式会社」に入社。2013年、四代目代表取締役社長に就任。
- 一般社団法人 日本ばね工業会 会員
- 日本ばね学会 会員
- 公益社団法人 大阪府工業協会 評議員
- 東大阪市工業協会 理事
- 東大阪商工会議所 議員
- 特定非営利法人 新共創産業技術支援機構(ITAC)理事
- 一般社団法人 大阪溶接協会 会員
- 一般社団法人 布施交通安全自動車協会 理事