社史『ばね物語』26 苦難(2)二代目作田為宣社長の誕生
吉村 篤
ばね物語 フセハツ工業50年の歩み
フセハツ工業の社史『ばね物語』は、三代目社長吉村健一が社業50周年を記念して発刊しました。
社史『ばね物語』発刊にあたり、協賛いただいたフセハツ工業OB会の方々。
株式会社東洋発条製作所 代表取締役 浦野春夫
コシオカ産業株式会社 代表取締役 越岡元弘
コシオカ産業株式会社 取締役 越岡伸子
株式会社隆光スプリング製作所 代表取締役 永田隆光
株式会社永田発条 代表取締役 永田昭夫
永田スプリング製作所 社長 永田一義
株式会社タイガーバネ製作所 代表取締役 竹山保
タツマ工業株式会社 代表取締役 吉川晋吾
協和バネ製作所 社長 中田鉄弘
フセハツ工業株式会社 代表取締役 吉村健一
『フセハツ工業』の企業理念
弾む原理を進化させ、
小さくても大きな使命と責任感をもって
社会に貢献すべし
苦難(2)二代目作田為宣社長の誕生
トップの孤独と辛さを味わう
二代目社長に為宣が就任したが、長年にわたって『フセハツ工業』を支えてきた先輩たちはそれぞれ独立しており、為宣の周りには相談に乗ってくれる人がいなくなっていた。
父親の忠雄が支柱となってきたフセハツ工業が、為宣一人の背に重圧となってかぶさってきたのだ。
折から自動車用バネの受注量は増える一方で、仕事量は膨らみ労働時間は伸び、社員は日々の納期を間に合わせるのに全力をあげた。
二代目の為宣社長は仕事に忙殺されて、とても趣味などに時間をさくことができず、一から十までの交渉を一人でこなさなければならないし、コストと利益のバランスを見極めて判断を下す。
すべての仕事が山のようになって為宣にのしかかった。トップに立つ身の孤独と辛さをじっとこらえながら過ごす毎日だった。
昭和61年(1986)から、幸子が経理を手伝うようになった。経理にコンピューターを導入することになって、幸子が担当することになったのである。
昭和62年(1987)ごろ、スポーツ用品メーカーからスポーツ・トレーニングセットの注文が急増した。
納品を急ぐ仙台の百貨店の人が、夜遅くに仙台から駆けつけたこともあった。
中小企業でも週休二日制を採用する会社が増え始め、フリーアルバイターと称する人たちがもてはやされていた。
好景気で仕事はあふれるほどあったものの、中堅社員の相次ぐ離職で社員は減る一方であった。
職業安定者に社員募集しても人は集まらず、手っ取り早く人を確保するにはコスト高でも人材派遣会社に頼らざるを得ないので、外国人労働者を雇うことが多くなった。
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監修者

フセハツ工業株式会社
代表取締役社長 吉村篤
2000年、ばねの総合メーカー「フセハツ工業株式会社」に入社。2013年、四代目代表取締役社長に就任。
- 一般社団法人 日本ばね工業会 会員
- 日本ばね学会 会員
- 公益社団法人 大阪府工業協会 評議員
- 東大阪市工業協会 理事
- 東大阪商工会議所 議員
- 特定非営利法人 新共創産業技術支援機構(ITAC)理事
- 一般社団法人 大阪溶接協会 会員
- 一般社団法人 布施交通安全自動車協会 理事