社史『ばね物語』19 飛翔(1)フセハツ工業(株)に社名変更
吉村 篤
ばね物語 フセハツ工業50年の歩み
フセハツ工業の社史『ばね物語』は、三代目社長吉村健一が社業50周年を記念して発刊しました。
社史『ばね物語』発刊にあたり、協賛いただいたフセハツ工業OB会の方々。
株式会社東洋発条製作所 代表取締役 浦野春夫
コシオカ産業株式会社 代表取締役 越岡元弘
コシオカ産業株式会社 取締役 越岡伸子
株式会社隆光スプリング製作所 代表取締役 永田隆光
株式会社永田発条 代表取締役 永田昭夫
永田スプリング製作所 社長 永田一義
株式会社タイガーバネ製作所 代表取締役 竹山保
タツマ工業株式会社 代表取締役 吉川晋吾
協和バネ製作所 社長 中田鉄弘
フセハツ工業株式会社 代表取締役 吉村健一
『フセハツ工業』の企業理念
弾む原理を進化させ、
小さくても大きな使命と責任感をもって
社会に貢献すべし
飛翔(1)フセハツ工業(株)に社名変更、吉村健一の入社
中堅企業として組織化進む
昭和41年(1966)8月、『(株)布施発条工業所』を『フセハツ工業(株)』に変更した。
折しも、昭和42年(1967)2月1日に布施市、河内市、枚岡市が合併して東大阪市が誕生した。
昭和42年(1967)3月、吉村健一が『フセハツ工業』に入社するきっかけは、母親の兄になる叔父の梅田正義が、作田忠雄社長と旧知の仲だったことである。
梅田正義は東大阪市長瀬でバネ製造業を営んでいた。
19歳で入社した吉村は最初、工場でクラッチのリターンバネの巻き取りの作業をしていた。
4月20日、会社の決算日に工場の材料や半製品、消耗品などを調査して記載した。そのときのまとめ方が優れていたので作田社長の目にとまり、三か月後に工場から営業に職種変えとなった。
社長は在庫帳に目を通して、「ましな字を書く子がいてるな」と、そばの人に漏らしていたのを吉村は、後日人づてに聞くことになる。
この時期に社長の目にとまったことが、吉村の人生を大きく変えた。
谷町営業所は改装工事をしていて完成間近となっていたし、店名を大阪営業所と変更して独立採算の形態に移行しようとしていたので、新たな人材が必要でもあった。
大阪営業所には竹山所長のほかに女性従業員が一人いるだけだった。
営業所では直接買いに来るお客の対応と、電話注文を聞いて受注商品の種類、数量に応じて工場で生産するもの、外注へお願いするものなど得意先管理と外注管理を任された。
工場で三か月間、バネ作りを言われるがままにしていただけなので、バネについての知識がまるでない。
吉村は竹山所長の営業センスを肌で覚え、特に作田社長には商売の「いろは」をマンツーマンで伝授された。
吉村は普通高校卒業なので、ノギスの測り方さえ分からない。図面で注文がきたバネについて材質を選び重量を計算し、材料費を見積もる。
この商品がどういう作業工程をたどって完成品になるのかを見極め、使い機械の種類と、一日に作ることができる製品の量を予測する。工場現場を知らないと加工賃さえ算出できない。
たとえば、あるバネに関しては製造工程の半分は機械加工できるが、あと半分は手作業が必要である場合に、手作業の一人当たりの一日の日当がいくらかかるかという計算が必要なわけで、入社して三か月しか工場の現場を知らない吉村に、作田社長は徹底して教えた。
見積もりの計算を社長は吉村に筆算でたたき込んだ。お互いの計算が合うまで何度もやり直した。
新しくなった営業所の陳列ケースに社長と二人で、バネのサンプル品を吊り下げては、「ああでもない、こうでもない」と言いながら手伝ったことが懐かしい。
吉村は工場に出向き製造担当者に機械のセット時間、生産数量、消耗部品の摩耗度などを聞き、外注先に出向いては手仕事の状況をつぶさに観察して、バネの製造方法を学ぶとともに商品の善しを覚えていった。
小企業から中堅企業へと組織が大きくなり、従業員の数も増えてきて、“おやじさん”から“社長”と呼ばれる時代となり、営業活動で売上を伸ばすことが会社の命運を決める大きな要素になってきていた。
吉村は竹山所長と二年間一緒に仕事をしている。
その後、竹山が独立して吉村が21歳のとき大阪営業所を任されることになった。
>社史『ばね物語』18 躍進(10) 月瀬金属の設立
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監修者

フセハツ工業株式会社
代表取締役社長 吉村篤
2000年、ばねの総合メーカー「フセハツ工業株式会社」に入社。2013年、四代目代表取締役社長に就任。
- 一般社団法人 日本ばね工業会 会員
- 日本ばね学会 会員
- 公益社団法人 大阪府工業協会 評議員
- 東大阪市工業協会 理事
- 東大阪商工会議所 議員
- 特定非営利法人 新共創産業技術支援機構(ITAC)理事
- 一般社団法人 大阪溶接協会 会員
- 一般社団法人 布施交通安全自動車協会 理事