<![CDATA[ばねとくらす]]> https://www.fusehatsu.co.jp/blog/ Fri, 14 Aug 2026 13:42:11 +0900 Tue, 04 Aug 2026 16:09:35 +0900 CMS Blue Monkey http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss <![CDATA[テレビCM撮影ロケに協力しました]]> https://www.fusehatsu.co.jp/blog/2026/08/04/202
目次

テレビCM撮影ロケ


2026年7月31日(金)、フセハツ工業でテレビCMの撮影ロケがありました。

製造業の人材派遣会社「フジアルテ株式会社」様のテレビCM撮影に協力しました。


>製造業の人材派遣会社なら「フジアルテ株式会社」



派遣社員の方が就職が決まってリアルに製造現場で働いている姿を撮影したいということで、通常どおり平日に工場が稼働している状況の中で役者さんの演技の撮影が行われました。



>お問い合わせはこちらから


テレビCMロケ撮影 写真

 

テレビCM撮影ロケ



テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影

 

テレビCMロケ撮影




テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影




テレビCMロケ撮影




テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影




テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影



テレビCMロケ撮影



>お問い合わせはこちらから

監修者

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フセハツ工業株式会社

代表取締役社長 吉村篤

2000年、ばねの総合メーカー「フセハツ工業株式会社」に入社。2013年、四代目代表取締役社長に就任。

  • 一般社団法人 日本ばね工業会 会員
  • 日本ばね学会 会員
  • 公益社団法人 大阪府工業協会 評議員
  • 東大阪市工業協会 理事
  • 東大阪商工会議所 議員
  • 特定非営利法人 新共創産業技術支援機構(ITAC)理事
  • 一般社団法人 大阪溶接協会 会員
  • 一般社団法人 布施交通安全自動車協会 理事

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Tue, 04 Aug 2026 16:09:35 +0900
<![CDATA[社史『ばね物語』28 再興(1)ヤマト発条との合併]]> https://www.fusehatsu.co.jp/blog/2026/08/04/201
目次


ばね物語 フセハツ工業50年の歩み

フセハツ工業の社史『ばね物語』は、三代目社長吉村健一が社業50周年を記念して発刊しました。


社史『ばね物語』発刊にあたり、協賛いただいたフセハツ工業OB会の方々。

株式会社東洋発条製作所     代表取締役 浦野春夫
コシオカ産業株式会社      代表取締役 越岡元弘
コシオカ産業株式会社        取締役 越岡伸子
株式会社隆光スプリング製作所  代表取締役 永田隆光
株式会社永田発条        代表取締役 永田昭夫
永田スプリング製作所         社長 永田一義
株式会社タイガーバネ製作所   代表取締役 竹山保
タツマ工業株式会社       代表取締役 吉川晋吾
協和バネ製作所            社長 中田鉄弘
フセハツ工業株式会社      代表取締役 吉村健一


『フセハツ工業』の企業理念
 弾む原理を進化させ、
 小さくても大きな使命と責任感をもって
 社会に貢献すべし


再興(1)ヤマト発条との合併

推挙された三代目は吉村健一

為宣が亡くなったあとのフセハツ工業を誰が継ぐのか、について親族を中心に協議された。

フセハツ工業は往時に比べると、社員の数は少なくて、工場の生産は派遣会社からの外国人労働者がほとんどを占めていた。


先代作田忠雄の妹、伸子の夫の越岡元弘が監査役でもあったので話し合いをリードした。

忠雄の妻であり、為宣の母・タカヰはフセハツ工業の仕事をしたことはなく、二代目社長為宣の妻・幸子はまだフセハツ工業の仕事に入って日が浅く経験不足である。

タカヰでも幸子でも実力が不足しているのは確かだった。

越岡は三代目社長に忠雄の娘婿である吉村健一を推挙した。


為宣が脳腫瘍の手術をして入院している間に、当社の経営を心配したタカヰが吉村に「ちょっと会社の内情をみてほしい」と頼んだ。

相談に乗り、経営状態を調べてタカヰに報告したことがあるので、吉村はフセハツ工業の内情を少しは理解している。

ただ、退職してから15年の歳月が流れている。


越岡夫婦は「為宣が亡くなったあと作田家は途絶えるし、親父が命をかけて育てたフセハツ工業の存続も難しいので、できるだけ早く決断してほしい」と吉村に懇願した。


ばね物語



吉村が後継者に推されたのは創業者の娘婿であり、バネ業界に精通している点である。

越岡以外の作田家と永田家双方の親類からも同様に懇願されていた。

吉村は数日間、苦慮し続けた。

当時、吉村はヤマト発条を含め三社の社長を兼務しており極めて多忙だった。


ヤマト発条の仕事をしながら、規模の大きなフセハツ工業の経営に携わることは不可能である。

「合併」の二文字が頭をよぎる。

合併となれば、社歴が古く規模の大きなフセハツ工業が存続会社となり、長年苦労して手塩にかけて、ここまで築きあげたヤマト発条の名前を消さなければならない。

吉村にとっては断腸の思いである。また、社員のことも心配であった。


しかし、作田家と将来のフセハツ工業の存続を考えて、平成5年(1993)7月、フセハツ工業はヤマト発条と合併、三代目社長に吉村健一が就任した。


日刊工業新聞は「ヤマト発条が“里帰り”合併、フセハツ工業は存続」と記事に書いた。

吉村が当社に帰ってきたとき、主な社員は山本、北野、横田、名田の4人となっていた。

営業部門はすでになく、電話による受注のみをこなしている状態であった。

工場は人材派遣会社からの労働者ばかりで、会社の羅針盤である経理部門までも派遣社員であった。

吉村は命懸けで一から出直す腹を決めた。書けば簡単な文句になるが、その状況はいかばかりの決意かである。


新生「フセハツ工業」への布石は素早く打っていかれた。

新しい「フセハツ工業」が、難産ながらも生まれようとしていた。


ばね物語




>社史『ばね物語』27 苦難(3) 作田為宣社長の死


>お問い合わせはこちら 


監修者

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フセハツ工業株式会社

代表取締役社長 吉村篤

2000年、ばねの総合メーカー「フセハツ工業株式会社」に入社。2013年、四代目代表取締役社長に就任。

  • 一般社団法人 日本ばね工業会 会員
  • 日本ばね学会 会員
  • 公益社団法人 大阪府工業協会 評議員
  • 東大阪市工業協会 理事
  • 東大阪商工会議所 議員
  • 特定非営利法人 新共創産業技術支援機構(ITAC)理事
  • 一般社団法人 大阪溶接協会 会員
  • 一般社団法人 布施交通安全自動車協会 理事

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Tue, 04 Aug 2026 14:18:26 +0900
<![CDATA[ばね屋のお便り2026年7月号]]> https://www.fusehatsu.co.jp/blog/2026/07/30/200
目次

ばね屋のお便り2026年7月号

昨日発生した熊本県を震源とする令和8年熊本地震により、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

皆様の安全と、一日も早く穏やかな日々が戻りますことを心よりお祈り申し上げます。


いつもフセハツ工業のメールマガジンをご覧いただきありがとうございます。

メルマガ担当 佐藤です。


暑い日が続きますね…。

塩分・水分補給を忘れず、体調第一にお過ごしください!


2026年春にも参加していた街パビOSAKAへ、今夏も参加致します。

大阪各地にあるものづくり工場へ、工場見学に行こう!というイベントになります。

お子様の夏休みの自由研究にもご活用いただけると思いますので、ぜひご紹介いただけますと幸いです!



ばね屋のお便り



夏の自由研究に!街パビOSAKA開催!

街パビOSAKA|年間 5,000万個の特注バネを製造するバネ工場見学

定員 各回20名 所要時間 60分

料金 1,100円/1名 

日時
・8月18日(火)13:00~14:30
・8月19日(水)13:30~14:30
・8月20日(木)13:30~14:30

申込期限 前日12時まで

※参加にはShisalyへの登録が必要です。

※本イベントには参加費が必要になります。

※詳細は、Shisalyをご確認ください。

それでは皆様、来月号でお会いしましょう!!

ばね屋のお便り



~チケット詳細~

工場見学+体験

詳細は下記ページをご確認ください。

>Shisaly 街パビOSAKA!



夏季休業(お盆休み)に関するお知らせ↓


2026年8月8日(土)~2026年8月16日(日)


上記の日程で休業させていただきます。

休業期間中は、お客さまには何かとご不便をお掛けいたしますが、何卒ご寛容くださいますようお願い申し上げます。


ばねに関するお問い合わせは下記から!!↓

>お問い合わせはこちら

>ばね屋のお便り2026年6月号

>「ばね屋のお便り」アーカイブ

>メルマガ「ばね屋のお便り」登録はこちら

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Thu, 30 Jul 2026 11:03:41 +0900
<![CDATA[社史『ばね物語』27 苦難(3)作田為宣社長の死]]> https://www.fusehatsu.co.jp/blog/2026/07/28/199
目次


ばね物語 フセハツ工業50年の歩み

フセハツ工業の社史『ばね物語』は、三代目社長吉村健一が社業50周年を記念して発刊しました。


社史『ばね物語』発刊にあたり、協賛いただいたフセハツ工業OB会の方々。

株式会社東洋発条製作所     代表取締役 浦野春夫
コシオカ産業株式会社      代表取締役 越岡元弘
コシオカ産業株式会社        取締役 越岡伸子
株式会社隆光スプリング製作所  代表取締役 永田隆光
株式会社永田発条        代表取締役 永田昭夫
永田スプリング製作所         社長 永田一義
株式会社タイガーバネ製作所   代表取締役 竹山保
タツマ工業株式会社       代表取締役 吉川晋吾
協和バネ製作所            社長 中田鉄弘
フセハツ工業株式会社      代表取締役 吉村健一


『フセハツ工業』の企業理念
 弾む原理を進化させ、
 小さくても大きな使命と責任感をもって
 社会に貢献すべし


苦難(3)その1 作田為宣社長を襲う病魔

幹部と従業員で支え合う

社長に就任して三年が経とうとしたころ、為宣が頭痛を訴えたので警察病院で検査したら脳腫瘍であることがわかった。

放置すれば生命に危険を及ぼすという病院側の判断で、昭和63年(1988)9月に警察病院で脳腫瘍の手術を受けた。

午前9時から手術が始まった。

待てども待てども、手術中のランプは消えない。

OBたちが入れかわり立ちかわり病院に駆け付けた。

翌日の午前5時半までかかり延々20時間半をかけた大手術である。

集中治療室に戻ってきたのは、さらに一時間後の午前6時半だった。


為宣社長が脳腫瘍の手術を受けたころは、自動車用バネのリターンバネ、ワイヤーリングバネの注文が殺到していて忙しい時期だった。

従業員たちは毎晩11時まで残って残業である。

夜の11時であろうと12時であろうと納品のためにトラックを走らせた。

全体の仕事量の中で、自動車関連部品の仕事は70%を超えていた。

奈良県添上郡月ヶ瀬村の子会社『ツキセ工業』でも同様、フル回転の創業が続いていた。


手術から4ヶ月間の入院生活を送り、その後、通院する生活が始まった。

退院してすぐの平成元年(1989)1月8日から毎日休まずに出社したが、午前中は通院するスケジュールの中で、為宣社長の職務を相変わらず過酷なものだった。

通院の時間を削るために、自宅で傷の消毒をしたのだが、傷の治癒が思いのほか時間がかかり、やはり病院できっちりと手当を受けたほうがいいということになって、以前のように午前中に通院することにした。

退院後半年ほど経って、やっと傷口が塞がった。

しかし、手術後は視野が狭くなり、車に乗ることをやめた。


大病後も仕事量は増加し続けていた。

従業員は夜の10時ごろまで残業、日曜日も祝日も出勤して頑張っていたが、社長が毎日のように通院している関係で、仕事が停滞気味となり、社員と仕事上のトラブルが頻繁に起こりだし、中堅社員が相次いで退社していき、為宣の周囲に人材がいなくなっていった。

人材不足の中で仕事を消化していかなければならない苦しい毎日であった。


為宣社長は体の不調から必要最小限の外出に止めたが、年1回の泊まりがけの家族旅行には必ず参加した。

主に温泉地を選んでの旅行で、一晩を母・タカヰや妻・幸子とのくつろいだ時間として大切にしたのだ。

大病後は酒はピタリとやめ、家族連れの食事会にはよく行った。

そして、今日一日を無事で過ごせたことを感謝していた。


仕事中の為宣は「しんどい」といった弱音を絶対に吐かなかった。

ただ、人から体調を聞かれると「まあ、あれだけの手術をしているので」と他人事のように答えていた。


為宣社長の体調がすぐれない時期に、当社を支えたのは工場では玉井守工場長と山本晶、横田敏昭、名田浩一で、営業部門では北野勇が頑張った。


苦難(3)その2 作田為宣社長の死

短かった在職期間、長い闘病生活

作田為宣社長と幸子が外出した豊中の千里で、為宣は倒れた。

平成5年(1993)6月9日、高血圧と過労が重なっての父・忠雄と同じ心筋梗塞による48歳の死だった。

当時は皮肉なことに、皇太子御成婚の晴れやかな日であった。


押し寄せる仕事を何とか切り抜けようと、自動機は毎晩12時ごろまで音を止めることはなく、社員たちは働き続けた。

納品の時間がどうしても間に合わないときは、親会社から人が派遣されてきて、深夜まで作業を手伝ってくれた。

9年間の在職期間の半分は闘病生活だった。

告別式は父・忠雄と同じ永照寺で執り行われた。

ばね物語27



>社史『ばね物語』26 苦難(2) 二代目作田為宣社長の誕生

>お問い合わせはこちら 



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フセハツ工業株式会社

代表取締役社長 吉村篤

2000年、ばねの総合メーカー「フセハツ工業株式会社」に入社。2013年、四代目代表取締役社長に就任。

  • 一般社団法人 日本ばね工業会 会員
  • 日本ばね学会 会員
  • 公益社団法人 大阪府工業協会 評議員
  • 東大阪市工業協会 理事
  • 東大阪商工会議所 議員
  • 特定非営利法人 新共創産業技術支援機構(ITAC)理事
  • 一般社団法人 大阪溶接協会 会員
  • 一般社団法人 布施交通安全自動車協会 理事

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Tue, 28 Jul 2026 16:03:21 +0900
<![CDATA[江蘇省常州市 ばね工場見学]]> https://www.fusehatsu.co.jp/blog/2026/07/24/198
目次

江蘇省常州市について

中国江蘇省常州市は人口約470万人の都市で、上海から西へ約160kmのところにあります。

常州市は2500年以上の歴史を誇る中国有数の歴史都市で、名所・旧跡の多い風光明媚な街です。

近年は、製造業を中心にGDP1兆元を超える工業都市として発展してきました。

現在は「新エネルギー産業の都」を掲げ、EV・車載電池・太陽光発電などのサプライチェーンが集積しています。



街パビ




江蘇省常州市2.jpg




江蘇省常州市3.jpg




フセハツ工業 ばね工場見学

2026年7月23日(木) 中国江蘇省常州市の製造業11社が工場見学に来られました。


江蘇省常州市 ばね工場見学


江蘇省常州市 ばね工場見学



江蘇省常州市 ばね工場見学


江蘇省常州市 ばね工場見学



江蘇省常州市 ばね工場見学
 
 
 
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>ばね工場見学のご希望の方へ


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フセハツ工業株式会社

代表取締役社長 吉村篤

2000年、ばねの総合メーカー「フセハツ工業株式会社」に入社。2013年、四代目代表取締役社長に就任。

  • 一般社団法人 日本ばね工業会 会員
  • 日本ばね学会 会員
  • 公益社団法人 大阪府工業協会 評議員
  • 東大阪市工業協会 理事
  • 東大阪商工会議所 議員
  • 特定非営利法人 新共創産業技術支援機構(ITAC)理事
  • 一般社団法人 大阪溶接協会 会員
  • 一般社団法人 布施交通安全自動車協会 理事


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Fri, 24 Jul 2026 11:08:12 +0900
<![CDATA[社史『ばね物語』26 苦難(2)二代目作田為宣社長の誕生]]> https://www.fusehatsu.co.jp/blog/2026/07/22/197
目次


ばね物語 フセハツ工業50年の歩み

フセハツ工業の社史『ばね物語』は、三代目社長吉村健一が社業50周年を記念して発刊しました。


社史『ばね物語』発刊にあたり、協賛いただいたフセハツ工業OB会の方々。

株式会社東洋発条製作所     代表取締役 浦野春夫
コシオカ産業株式会社      代表取締役 越岡元弘
コシオカ産業株式会社        取締役 越岡伸子
株式会社隆光スプリング製作所  代表取締役 永田隆光
株式会社永田発条        代表取締役 永田昭夫
永田スプリング製作所         社長 永田一義
株式会社タイガーバネ製作所   代表取締役 竹山保
タツマ工業株式会社       代表取締役 吉川晋吾
協和バネ製作所            社長 中田鉄弘
フセハツ工業株式会社      代表取締役 吉村健一


『フセハツ工業』の企業理念
 弾む原理を進化させ、
 小さくても大きな使命と責任感をもって
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苦難(2)二代目作田為宣社長の誕生

トップの孤独と辛さを味わう

二代目社長に為宣が就任したが、長年にわたって『フセハツ工業』を支えてきた先輩たちはそれぞれ独立しており、為宣の周りには相談に乗ってくれる人がいなくなっていた。

父親の忠雄が支柱となってきたフセハツ工業が、為宣一人の背に重圧となってかぶさってきたのだ。

折から自動車用バネの受注量は増える一方で、仕事量は膨らみ労働時間は伸び、社員は日々の納期を間に合わせるのに全力をあげた。


ばね物語



二代目の為宣社長は仕事に忙殺されて、とても趣味などに時間をさくことができず、一から十までの交渉を一人でこなさなければならないし、コストと利益のバランスを見極めて判断を下す。

すべての仕事が山のようになって為宣にのしかかった。トップに立つ身の孤独と辛さをじっとこらえながら過ごす毎日だった。

昭和61年(1986)から、幸子が経理を手伝うようになった。経理にコンピューターを導入することになって、幸子が担当することになったのである。

昭和62年(1987)ごろ、スポーツ用品メーカーからスポーツ・トレーニングセットの注文が急増した。

納品を急ぐ仙台の百貨店の人が、夜遅くに仙台から駆けつけたこともあった。

中小企業でも週休二日制を採用する会社が増え始め、フリーアルバイターと称する人たちがもてはやされていた。

好景気で仕事はあふれるほどあったものの、中堅社員の相次ぐ離職で社員は減る一方であった。

職業安定者に社員募集しても人は集まらず、手っ取り早く人を確保するにはコスト高でも人材派遣会社に頼らざるを得ないので、外国人労働者を雇うことが多くなった。


ばね物語





ばね物語




>社史『ばね物語』25 苦難(1) 早すぎた忠雄の死

>社史『ばね物語』27 苦難(3) 作田為宣社長の死


>お問い合わせはこちら 

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代表取締役社長 吉村篤

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  • 一般社団法人 日本ばね工業会 会員
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  • 一般社団法人 布施交通安全自動車協会 理事

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Wed, 22 Jul 2026 08:59:04 +0900
<![CDATA[防災訓練2026]]> https://www.fusehatsu.co.jp/blog/2026/07/15/196
目次

防災訓練2026 実施内容


2026年7月8日(火)10:00から防災訓練を実施しました。

東大阪消防局西消防署の隊員の方に参加いただき、防災訓練の指導をしていただきました。


①震度5以上の地震が発生したという想定で避難開始。

②安全非難と非常時資産持ち出し

③安全確認訓練

④被害状況確認訓練

⑤火災発生、通報訓練

⑥消火訓練

⑦安全確認結果、機械設備の被害状況を共有し復旧対策会議の演習

⑧非常時持ち出しリュックの中身確認

 賞味期限の切れた非常食など入れ替え、非常時ラジオ使用確認

⑨講評


>経営理念・事業継続方針

>BCP 事業継続計画書

>経済産業省 事業継続強化計画認定

>レジリエンス認証(事業継続および社会貢献)

>お問い合わせはこちらから


防災訓練2026 写真

 

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>お問い合わせはこちらから

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Wed, 15 Jul 2026 14:15:22 +0900
<![CDATA[社史『ばね物語』25 苦難(1)早すぎた忠雄の死]]> https://www.fusehatsu.co.jp/blog/2026/07/08/195
目次


ばね物語 フセハツ工業50年の歩み

フセハツ工業の社史『ばね物語』は、三代目社長吉村健一が社業50周年を記念して発刊しました。


社史『ばね物語』発刊にあたり、協賛いただいたフセハツ工業OB会の方々。

株式会社東洋発条製作所     代表取締役 浦野春夫
コシオカ産業株式会社      代表取締役 越岡元弘
コシオカ産業株式会社        取締役 越岡伸子
株式会社隆光スプリング製作所  代表取締役 永田隆光
株式会社永田発条        代表取締役 永田昭夫
永田スプリング製作所         社長 永田一義
株式会社タイガーバネ製作所   代表取締役 竹山保
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 小さくても大きな使命と責任感をもって
 社会に貢献すべし


苦難(1)早すぎた作田忠雄の死

激務重なった社長の心労

作田タカヰと弟の永田隆光の父の隆市が大阪で亡くなった。

告別式に永田家の遠縁にあたる幸子が参列していた。

タカヰが「為宣にお似合いの娘さんがいた」ということで、昭和59年(1987)7月に二人は結婚した。

為宣の将来に光が斜したように思えて、忠雄とタカヰは「ホッ」としたようだ。

結婚してからの為宣の健康はすこぶる良くなって、痛風もうすらいで副社長の任を全力でこなせる状態だった。



ばね物語




昭和59年(1984)12月4日、その日の仕事が終わろうとしていた午後6時10分ごろ、作田忠雄社長が二階の社長室から一階の事務所に降りてきた。

ちょうど焼き芋屋が表通りを通りかかったので、残業していた山本晶や北野勇に「食べるか」と声をかけた。

山本は「いいえ、家に帰って夕食を食べますので結構です。ありがとうございます」と返答した。

作田社長は「戸締りお願いしますよ」と言って、隣の自宅に帰っていった。



自宅に帰った忠雄はくつろぎながら、為宣と今後の会社運営について話し合っていた。

為宣が帰った午後9時すぎに突然、忠雄は苦しみ始めた。

胸が痛いのだろう、体を折り曲げて畳の上をクルクルと回った。

タカヰにはどうしようもない。

救急車で運ばれたが、回復しなかった。心筋梗塞による急死である。満67歳の早すぎた死だった。

為宣と幸子が結婚して5ヵ月後の不幸である。



結果論になるが、数ヵ月前に『ツキセ工業』で発生した労働災害への心労に加えて、亡くなる数日前から税務署の調査が入り、心身ともに疲労していて、何日か前から忠雄の顔が冴えなかったという。

長年の心労と体力の低下が原因で心筋梗塞を引き起こす原因になったのであろう。

告別式は東大阪市永和にある浄土真宗本願寺派の永照寺で執り行われた。


得意先に配るつもりの昭和60年度のカレンダーの配布先を、忠雄自身記入したメモが見つかり、家族たちの涙を誘った。




ばね物語





ばね物語




ばね物語




ばね物語



>社史『ばね物語』24 飛翔(6) フセハツ商事設立

>社史『ばね物語』26 苦難(1) 早すぎた忠雄の死

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フセハツ工業株式会社

代表取締役社長 吉村篤

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Wed, 08 Jul 2026 11:37:20 +0900
<![CDATA[カーボンニュートラル証明書を取得]]> https://www.fusehatsu.co.jp/blog/2026/07/07/194
目次

カーボンニュートラル証明書を取得

2026年度カーボンニュートラル証明書を取得しました。

カーボンニュートラル証明書

>カーボンニュートラル証明書2026

カーボンニュートラルについて

カーボンニュートラルとは、温室効果ガス(二酸化炭素など)の排出量から、植林などによる温室効果ガスの吸収量を差し引いて、実質的に温室効果ガスの排出量をゼロにるする取り組みをいいます。

温室効果ガスを吸収する活動としては、森林保全以外には、木材を建築材に積極的に使用するなど長期間にわたって炭素を貯蔵したり、海藻やマングローブなどの海洋生態系の保全活動や、最新の科学技術により直接的に二酸化炭素を回収する方法などがあります。

日本は、2050年までに温室効果ガスの排出量を実質ゼロにする「カーボンニュートラル宣言」をしています。


カーボンニュートラル証明書について

カーボンニュートラル証明書とは、企業などが事業活動や製造工程で排出する温室効果ガス(二酸化炭素など)の量を測定し、どうしても削減できない排出量をカーボンクレジットなどで相殺して、実質ゼロにしていることを第三者機関が客観的に証明する文書をいいます。

カーボンクレジットとは、植林や再生可能エネルギーの導入などによって削減・吸収された温室効果ガスの量を「排出枠」として数値化し、取引可能にした証書です。

CO₂ 1トンあたり1クレジットとして発行され、企業間で売買することで自社の排出量を相殺するために活用されます。


非化石化価値証書について

非化石価値証書とは、太陽光や風力などの「非化石電源」で発電された電機の環境価値(二酸化炭素を排出していない価値)を切り離し、証書化したものです。

非化石化価値証書を購入することで、実質的に再生可能エネルギーによる電力を使用しているとみなされます。


FIT証書について

FIT証書(FIT非化石証書)とは、固定価格買取制度(FIT)で発電された再生可能エネルギーについて、環境価値(二酸化炭素を排出していない価値)を切り離し、証書化したものです。

FITとは、Feed-in-Tariffの略称です。


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監修者

吉村篤写真.jpg

フセハツ工業株式会社

代表取締役社長 吉村篤

2000年、ばねの総合メーカー「フセハツ工業株式会社」に入社。2013年、四代目代表取締役社長に就任。

  • 一般社団法人 日本ばね工業会 会員
  • 日本ばね学会 会員
  • 公益社団法人 大阪府工業協会 評議員
  • 東大阪市工業協会 理事
  • 東大阪商工会議所 議員
  • 特定非営利法人 新共創産業技術支援機構(ITAC)理事
  • 一般社団法人 大阪溶接協会 会員
  • 一般社団法人 布施交通安全自動車協会 理事

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Tue, 07 Jul 2026 09:33:36 +0900
<![CDATA[社史『ばね物語』24 飛翔(6)フセハツ商事設立]]> https://www.fusehatsu.co.jp/blog/2026/07/01/193
目次


ばね物語 フセハツ工業50年の歩み

フセハツ工業の社史『ばね物語』は、三代目社長吉村健一が社業50周年を記念して発刊しました。


社史『ばね物語』発刊にあたり、協賛いただいたフセハツ工業OB会の方々。

株式会社東洋発条製作所     代表取締役 浦野春夫
コシオカ産業株式会社      代表取締役 越岡元弘
コシオカ産業株式会社        取締役 越岡伸子
株式会社隆光スプリング製作所  代表取締役 永田隆光
株式会社永田発条        代表取締役 永田昭夫
永田スプリング製作所         社長 永田一義
株式会社タイガーバネ製作所   代表取締役 竹山保
タツマ工業株式会社       代表取締役 吉川晋吾
協和バネ製作所            社長 中田鉄弘
フセハツ工業株式会社      代表取締役 吉村健一


『フセハツ工業』の企業理念
 弾む原理を進化させ、
 小さくても大きな使命と責任感をもって
 社会に貢献すべし


飛翔(6)その1 フセハツ商事設立

任せようとしていた吉村の退職

昭和52年(1977)、構造改善をするために本社と大阪・堺の両営業所を切り離して、営業・販売部門を別会社に独立させたいという話が作田社長から吉村にあった。

すでに10年間、独立採算の形態で営業しており、財務内容も抜群で無借金経営を続けており、別会社にして吉村にその会社を任せようとしていた。

『フセハツ工業』は息子の為宣に、『フセハツ商事』は娘婿の吉村に任せようとの思惑である。

しかし、吉村はこの時点ですでに独立する心積もりだったし、以前から独立したいと作田社長に直訴していたが、なかなか許してもらえなかった背景をもっていた。


吉村が退職してから大阪営業所の経営形態も様変わりしていった。

社長は当初の方針通り『フセハツ商事(株)』として独立させた。

社長が健在な時期までは順調な業績だったが、二代目社長の為宣が病気がちで目が行き届かなくなってからは、社員の造反、退職が続き内部から崩壊し始め、業績は落ち堺営業所も撤退した。

その後『フセハツ商事』は平成9年(1997)9月、三代目社長吉村のとき、『フセハツ工業』に吸収合併されている。




ばね物語24-1


飛翔(6)その2 吉村が独立、『ヤマト発条』を設立

膨大な不渡り手形をもらうはめに

昭和53年(1978)3月、吉村は29歳で独立して東大阪市御厨に『ヤマト発条製作所』を設立した。

設立にあたって母親のヨシ子が労働金庫から退職金を前借りして100万円を工面してくれた。

その資金で貸工場を借りて父親の藤市朗に手伝ってもらいながらのスタートであった。


ヤマト発条、最初の注文は『フセハツ工業』の堺営業所から受けたものだった。

納めた商品にクレームがついて『フセハツ工業』に迷惑をかけてしまった。

長年勤めた会社に迷惑をかけ後輩にも申し訳なく思い、その後の注文は遠慮した。


資金はなく、受注の見込みはなく、頼れるものはいままで吉村が蓄積した経験と人望だけだった。

独立して間もなく『奥田プラスチック』からの大量の受注があり、商売は軌道に乗るかと思われた。

『奥田プラスチック』は昼夜24時間操業で非常に忙しい会社だったが、薄利多売の商品を生産していたため、忙しくても利益が上がらず経費倒れの状態で、なんとか利益を上げようと設備投資もしたが、逆に金利負担の増加と仕入れ業者とのトラブルで倒産に至った。

吉村は膨大な不渡り手形をもらうはめになった。


取引額の大きな得意先がなくなり、『ヤマト発条製作所』の売上は減少し続けた。

工場の留守は父親にまかせて吉村は走り回った。

1日に名刺2ケース使う日もあって、印刷屋さんから「お宅は何屋さん」と言われて返答に困った思いがあるという。

ダイレクトメールの印刷を頼んで、初めて「バネ屋」と分かり、印刷屋さんは「鉄関係でこんなにたくさん名刺を刷ったのは初めてや」と驚いていた。

飛び込み営業とダイレクトメールの2本立ての活動が続いた。

毎日が苦境の連続であった。


数ヵ月が過ぎたある日、疲れて帰ってきたら、『宮本商事(株)』という会社から電話があり、一度来てほしいと言っているとのこと、メーカーではないので、たいしたことではないと思いながら行ってみると予想とは違い、『宮本商事』の社長は毎月10万個セット購入する予定だから、すぐにでも見積もってくれと命令口調で話された。

初対面なのに、何となく親しみがわく社長であった。

数日後に「ばね関係は全てお前のところから買う」といわれた。

取引条件も現金決済の好条件にめぐまれ、『ヤマト発条製作所』は宮本社長のお陰で軌道に乗ることができて感謝している。

その後、地道な営業努力で得意先も200社に増え、昭和62年(1987)12月8日に東大阪商工会議所から優良事業所の表彰を受ける栄誉に輝いた。


ばね物語24-2



>社史『ばね物語』23 飛翔(5) 輸出と海外視察

>社史『ばね物語』25 苦難(1) 早すぎた作田忠雄の死

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監修者

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フセハツ工業株式会社

代表取締役社長 吉村篤

2000年、ばねの総合メーカー「フセハツ工業株式会社」に入社。2013年、四代目代表取締役社長に就任。

  • 一般社団法人 日本ばね工業会 会員
  • 日本ばね学会 会員
  • 公益社団法人 大阪府工業協会 評議員
  • 東大阪市工業協会 理事
  • 東大阪商工会議所 議員
  • 特定非営利法人 新共創産業技術支援機構(ITAC)理事
  • 一般社団法人 大阪溶接協会 会員
  • 一般社団法人 布施交通安全自動車協会 理事

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Wed, 01 Jul 2026 10:19:08 +0900