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2024/02/20

東大阪市立長瀬中学校 バネ工場見学

吉村篤
ばねとくらす
バネ工場見学
東大阪市立長瀬中学校様

2024年2月14日、地元の東大阪市立長瀬中学校の生徒のみなさんがバネ工場見学に来られました。


東大阪市立長瀬中学校1.jpg


長瀬中学校は東大阪市の南端に位置し、八尾市と大阪市に隣接しています。

1965年に当時の布施市立第三中学校(現在の東大阪市立金岡中学校)から分離して開校しました。



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学校教育目標は「心豊かに生き抜く生徒の育成」です。

生徒一人ひとりが「今日も学校に来てよかった!明日も学校に行きたい!」と心から言える学校になるよう取り組まれています。


東大阪市立長瀬中学校2.jpg


東大市立長瀬中学校は部活動も盛んです。

特にバスケットボール部が盛んで、過去2回の全国優勝があります。



2.長瀬中学校バスケ部.jpg


長瀬中学校の近くには長瀬川が流れています。長瀬川は農林水産省の「疎水百選」に選定されています。

長瀬川は古代より大和川の本流として水運が利用されてきました。



東大阪市立長瀬中学校3.jpg


江戸時代に大和川の付替工事があるまでは、当時の長瀬川は大和川と呼ばれ、川幅も200m以上ありました。現在の川幅は約5mほどです。



3.長瀬川.jpg


江戸時代以前の旧大和川(現 長瀬川)は大変な暴れ川で、定期的に大きな氾濫を起こしては地元地域に甚大な被害を及ぼしてきました。

豪商の川村瑞賢がこの問題に取組み土木工事を行いましたが失敗しています。


東大阪市立長瀬中学校4.jpg


この大和川の氾濫を根本的に解決するために、大和川付替工事に奔走した人物として中甚兵衛(1639~1730)が有名です。

中甚兵衛は江戸時代初期の農民で、東大阪市今米の庄屋の三男として生まれました。

50年近くに渡って、大和川付替工事を幕府に粘り強く嘆願し続け、実現させた人物です。


7.中甚兵衛.jpg


工事のときには、農民でありながら並み居る幕臣に交じって工事の指揮を行いました。

工事は用意周到な計画のもと、約8か月ほどで完了したとされています。


東大阪市立長瀬中学校5.jpg


晩年、中甚兵衛は浄土真宗本願寺派の大坂津村御坊(北御堂)で剃髪し、乗久と名乗りました。大和川氾濫で命を失った被害者を弔ったとされています。享年92歳。


東大阪市立長瀬中学校6.jpg


さて、大和川といえば、「日本一汚い川」として有名です。

その支流の長瀬川も一時は生活用水や工業用水などでかなり汚染されていましたが、自然保護のため流域の各所に水生植物の栽培や簡易式曝気施設が設けられました。

現在では川底が見えるくらい浄化され、さまざまな生き物が生息しています。


4.長瀬川生物1.jpg


3.1長瀬川生物.jpg



5.長瀬川生物2.jpg


6.長瀬川生物3.jpg


東大阪市立長瀬中学校7.jpg



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