東大阪市立孔舎衙中学校 バネ工場見学
吉村篤
バネ工場見学
東大阪市立孔舎衙中学校様
2024年2月2日、地元の東大阪市立孔舎衙中学校の生徒のみなさんがバネ工場見学に来られました。
孔舎衙中学校は1980年に開校しました。
くさか三か条として、「時間 あいさつ 思いやり」をスローガンに掲げ、当たり前のことは当たり前にできる子の育成を目指しています。
孔舎衙は「くさか」と読みます。読み方が難しい…
孔舎衙は、日本書紀に出てくる神武天皇の東征伝説にある「孔舎衛坂(くさえざか)」が近くにあったことが由来になっているそうです。
「孔舎衙」は「衙」で、「孔舎衛」は「衛」で漢字が違うのは、日本書紀のほうが誤植であるという説が有力です。
しかし、日本書紀に誤りがあるのは畏れ多いということで、「くさえ」という地名はないのですが、公式には孔舎衛坂は「衛(え)」になっています。
日本書紀によると、「孔舎衛坂の戦い」で神武天皇は地元勢力に歴史的な大敗を喫します。
神武天皇の兄も戦死し、大阪から生駒山を越えて最短で大和に入ることをついに断念します。
この後、神武天皇の東征軍は体制を立て直し、紀伊半島の熊野方面から大迂回して大和を目指すことになります。
かつて、近鉄奈良線の石切駅と生駒駅の間に「孔舎衛坂駅」がありました。
1964年に新生駒トンネルができて廃駅となりました。
今でも孔舎衛坂駅跡は残っています。
石切駅から生駒駅方面に歩いて、石切観音の参道沿いに駅跡があります。
孔舎衛坂駅は1914年の開業です。同年、近くに日下遊園地も開業しました。
1926年に「あやめ池遊園地」、1929年に「生駒山上遊園地」が開業すると、客足が遠のき廃園となりました。
当時の日下遊園地には、乗馬クラブや貸ボート、ミニ動物園、温泉、料理旅館、少女歌劇団などがあり、小さいながらも盛況な遊園地だったようです。
遊園地が廃業した後は、孔舎衙健康道場として結核患者の療養所が建てられました。
太宰治の小説『パンドラの匣(はこ)』のモデルなった場所です。
現在、日下遊園地跡はパンドラの丘として地元有志によって公園として整備されています。
生駒山の「くさかハイキングコース」の登山口付近にあります。
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